藤本タツキの『ルックバック』

ルックバック - 藤本タツキ | 少年ジャンプ+

 

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藤本タツキ先生の新作読み切り『ルックバック』を読んだ。

京都アニメーションの事件を彷彿とさせるシーンや、過去のテロ事件ともリンクする仕掛けが為されていたりと、本作が内包する主題は大きく、またセンシティブでもある。

ただこの点が多くクローズアップされている一方で、自分がこの作品で食らったのって多分そこだけではないんだろうなという想いもある。

上記を整理する意味でも、この記事では登場人物の関係性や心情といったミニマルな範囲に焦点を当てる形で、自身が感じたことを書き記している。

 

「藤野にとって、漫画とは何だったのか?」この問いは本作について考える上での良いガイドラインになった。藤野の漫画、ひいては創作に対する向き合い方の変化が、この作品の中核を為しているように思う。"創作"もまた、重要なファクターだという捉え方をした。

元々、藤野は学年で最も漫画が上手な子供だった。周りからチヤホヤされていたし、クラスで一目置かれる人気者であったはずだ。一方で、藤野は別に漫画を愛していたというわけではない。冒頭の『ファーストキス』に関しては5分で描き上げたと言っており、周りより上手く出来るし気分が良いから何となくやっていたに過ぎないのだろう。「漫画家になれば?」と言われた時も「つまらなさそうだから嫌だ」と回答する。

ところが京本の作品が学年新聞に掲載されて状況は変わる。自分よりも絵がうまい人間が現れる。藤野の絵は普通だよなと言われてしまう。この時の藤野の反応は、悔しさや憤りだ。負けたくない、自分よりうまい人間がいるなんて認めたくない。そして、京本に負けたくないという動機のままに、藤野は絵の特訓を初める。

ポイントは藤野が京本の絵を見て、そうした感情しか見せない点だ。例えば、こんな絵が描けるようになりたいという憧れであったり、京本の絵に目を奪われたり、そういった反応は出て来ない。何せ、京本の絵を初めて見た時の表情がアレである。こうした反応は京本の芸術への向き合い方とは対照的だ。

やがて6年生になり、周囲からは絵を描くことに対するネガティブな反応が増えつつある。漫画を描いててもオタクになるだけだし、人生の役には立たないと言われる。カラテをやって内申書を装飾した方が良いとまで言われる始末だ。それまで漫画を褒めてくれていたクラスメイトとは疎遠になり、視線もどこか冷ややかである。そしてとある日、藤野と京本の4コマが学級新聞に並ぶ。藤野の画力は確かに向上しているが、京本との差は未だに大きい。ここで、藤野は漫画を描くことを辞めてしまう。

時は流れて卒業式。部屋の前で何となく描いた4コマ漫画をきっかけに、藤野と京本の運命的な出会いが果たされる。京本が藤野の熱烈なファンであることを知り、また藤野の才能を全肯定するスピーチを聞いて、藤野はモチベーションを取り戻す。やはり、他者からの賞賛や承認欲求の充足といった事象は、藤野を駆り立てる原動力となっている。無論それは創作に踏み出す動機として至極健全なものであると言えよう。

その後、"藤野キョウ"としてチームを組んだ二人は漫画の賞への応募を目指し、ひたすらに描き続ける。そして一年以上かけて完成させた力作『メタルパレード』で見事に準入選を果たす。賞金を獲得した藤野が10万円を手に豪遊するも、結局5,000円しか使い切れないというエピソードは印象的だ。

それ以降も二人は読切作品を創り、合間には取材を兼ねてか外出したりと、楽しい日々を過ごす。この期間は双方にとって、非常に充実した時間であったことが見て取れる。順調に読切を掲載し続け、人気も出てきた藤野キョウは、いよいよ連載の話を持ち掛けられる。藤野は乗り気であったが、京本は美術大学への進学を希望しており、連載は手伝えないという。

藤野が京本を引き留める台詞は印象的だ。美術系の就職先なんて全然ない。私についてくれば来ればうまくいく。皮肉にも、かつて小6の藤野に漫画を辞めるよう説得してきた声が思い起こされはしないか。藤野にとって、芸術とはやはり手段なのだろう。無論、芸術を生業とする以上はそれで飯を食う必要があるのは当然だ。付随して得られる富や名声を以てして成功とすることもまた正しい。

だが、京本は美大への進学を決める。何故か? 答えはシンプルで、もっと絵がうまくなりたいからである。画力が上がれば描くスピードが速くなり連載のクオリティも上がる、という藤野のアドバイスも影響しているだろう。ここに創作の捉え方の差異が見て取れる。京本が現代美術の資料を見て目を輝かせるカットは印象的だ。

藤野にとっての創作が手段となりつつあるのに対して、京本はあくまでもただ絵を描いていたい、絵を極めたいという衝動を強く持っている。何しろ京本はずっと、好きだから描いてきた。京本にとって創作は手段でなく目的としてそこにある。人気者になりたいとか稼ぎたいとか、そういった欲とは無縁なのだ。

結局二人の道は分かれてしまう。それ以降は藤野キョウ名義でこそあるが、実質的には藤野が単独で作家活動を続けていく。とは言ってもその勢いは凄まじく、初連載である『シャークマン』の単行本は11巻を突破し、見事にアニメ化にまで漕ぎつけてしまう。

『シャークマン』の躍進と並行する形で、藤野の背中のカットが何枚も続くのが印象的だ。広くなった無機質な部屋ポツリと置かれた机。そこにかぶりついて作業を進める孤独な背中には、悲壮感さえ漂う。二人は頻繁に連絡を取り合うという事もしていなかったのだろう。気まずい別れ方をしたのかもしれない。藤野の孤独な背中はそれを裏付けているように思う。

やがて、凄惨な事件が起きてしまう。京本の部屋までやってきた藤野は、あの日漫画を描いたことを追憶し、後悔する。漫画を描かなければ京本は部屋から出てくることもなく、死ぬことも無かった。なぜあの時漫画を描いてしまったのか。藤野は「描いても何も役に立たないのに……」、とつぶやく。漫画を手段として捉える姿勢がここにもある。

アニメ化に至る大ヒット漫画を描いた藤野。富も名声も手にしているはずだ。漫画で稼いで経済回してやろうぜと意気込んでいた、藤野が思い描いた"成功"が形になったであろうことに疑いはない。でも、京本と別れてからの藤野が幸福な表情、様子を見せることは無い。10万円を握りしめて出かけても5,000円しか使い切れなかったあの日が象徴するように。手に余るものをもたらされても、目的のない場所には幸せがない。そこに横たわるのは空虚な勝利だ。

なぜあの時漫画を描いてしまったのか。その問いは「漫画をこれ以上描く意味はあるのか」に姿を変えるはずだ。このままなら藤野は漫画をやめてしまったかもしれない。しかし藤野が漫画を破り捨てたことがきっかけとなり、あり得た別の可能性、別の世界線が提示される。京本が部屋から出ない世界。ここでは別の形で藤野と京本が邂逅し、襲撃事件は未然に防がれる。そして京本の『背中を見て』が描かれ、藤野の元に届く。

『背中を見て』を読んだ藤野は京本の部屋に足を踏み入れる。そこで藤野が見たものは何だっただろうか。「京本は藤野のファンであり続けた」というその事実に他ならないと思う。シャークマンのポスターを部屋に貼り出し、単行本を複数買い、週刊誌の読者アンケートを律儀に書く。そして、藤野歩のサインが背中に入った半纏は今でも扉にかけられている。

藤野キョウとして共に仕事をする仲間となってからも。そのコンビが解消されている状況でも尚。京本はずっと藤野のファンであり、一人の読者なのだ。

回想の中で藤野は「面倒だし地味だし、漫画なんて描くもんじゃないよ」と語る。対して、「じゃあ藤野ちゃんはなんで描いてるの?」という京本の問い。藤野の自問にも回帰するその問いに呼応してフラッシュバックするのは、藤野が京本に『メタルパレード』のネームを共有した日の光景だ。

京本はネームを読んで興奮し、涙を流し、時に腹を抱えて笑っている。漫才師が相方の書いてきたネタを読んで爆笑する、相方を世界一面白い奴だと思っている、そんな関係。藤野の最大のファンはきっと京本だった。京本という読者が、藤野にペンを握らせたのだろう。その京本と進む道が違えてしまったことで、藤野は漫画を描く理由を既に見失いかけていたのだと思う。

でも側にいて直接声が届く環境でなくても。見えないところで、どこかの誰かの元に藤野の漫画は届いているのだ。多くの人々が、『シャークマン』の続きを待っている。藤野が描く漫画を待っている。藤野の預かり知らないところで、京本が変わらずファンであり続けたように。これは創造力と同時に、想像力の話でもあるのだと思う。

なぜ創作をするのかを突き詰めた時、受け手となる存在が居ることをイメージすること。読者は決して無機質なテキストやデータの存在ではなく、血の通った生々しい人生がそこにあるということ。そして、その人生に影響を及ぼすだけの力が創作にはある。4コマ漫画が引きこもりの少女を外の世界に連れ出し、失意の底の漫画家に光を与えることもある。一方でそれが悲しい事件に繋がってしまう可能性も決してゼロではないのだが……。受け手となり得る、どこかの誰かの背中を押す力が創作にはある。そのことを実感を持って信じることが出来た時、創作が持ち得る可能性は大きく広がるのかもしれない。

藤野は京本の背中を見て、大きく意識を変えたと思う。創作を受け取ってくれる読者を見る。自身が背負っている期待を見る。それは時に重圧となるが強大なエネルギーでもある。創作で、漫画という表現で、世界と応答し続けること。それがポジティブな事に繋がることを祈りながら。漫画を描くという行いそれ自体が、藤野の人生の意味となった瞬間ではないだろうか。

藤野は決意の下に歩き出し、再び漫画を描き始める。それまで孤独に見えた背中はどこか力強く、広く感じられる。最後の4つのコマでは目を逸らさずにその背中を見つめるべきだろう。