t7s ハルカゼ・CHAIN THE BLOSSOMを振り返る

 

 

ナナシス3rd参加後に途中まで書いて全然まとまらなくて投げた、感想なのか考察なのかポエムなのかわからない文章が下書きにあったので、リライトして体裁を整えたものを供養の意味で放流します。

なるべく原文を残しているのでライブ直後っぽいテンションになってます。

 

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4/22、4/23で幕張メッセ幕張メッセ!)にて行われたナナシスの3rdライブ『Tokyo 7th シスターズ 3rd Anniversary Live 17’→XX -CHAIN THE BLOSSOM- in Makuhari Messe』に参加してきたので、遅くなったものの感想なりを記事にしたいと思います。3つある公演の全てに参加。公演後にいわゆる感想戦をやっても語り足りないという充実度合い。

KILLER TUNNERのDメロで脳天を撃ち抜かれたとか4UのHello...my friendがエモかったとかQoPのパフォーマンスが圧巻だったとかはるジカの衣装の可愛さが異常とかFUNBAREの中島唯さんの腰の低さに目が釘付けになって中島唯さんの腰ファンになったとか黒瀬さんがKARAKURI友情出演させてくれてあの人は本当にわかってるなとかバンドアレンジであの曲が化けてたとか細かい点を挙げれば色々あるんです。 

あるんですが、この記事ではライブ全体を通しての感想やナナシスというコンテンツに対する考えとか、そういう大枠的な部分をメインで書いていきたい。先日発売(*1)になった「ハルカゼ」は今回のライブを象徴する楽曲&MVであり、ナナシスそのものみたいな作品という認識でいるので、ライブの感想と言いつつハルカゼの話が多くなってくるかもしれない。

(*1:2017年4月19日発売)

 

 ■感動する準備

早速ライブのストレートな感想ではないんだけど、今回の3rdライブに関しては、自分としては気持ちを作った上で臨むことが出来たと思っている。こんな言い方が正しいのかは疑問ではあるけど、「感動する準備が出来ていた」とでも言えばいいのか。

そしてそれは直前に発売になった 『ハルカゼ』や、関連するインタビュー記事に触れていったからだと思う。特に『ハルカゼ』は短いMVの中に色々なものが詰まっていて、ここで「ナナシスと向き合う」という段階を踏んだことで一気に気持ちが盛り上がっていったような感覚がありました。

コンテンツに触れ始めて多少時間も経ってきたというのもあるかもしれない。でもとにかく今までのライブの中でも一番期待をしていたし、それは単に質への期待だけじゃなくて、人生において今後思い返す大切な瞬間になるんじゃないかみたいな、そういう勝手で個人的な期待と言う意味でもそうでした。

 

■「anyone = everyone = you」という構造

上で「ナナシスと向き合う」という書き方をしたけども、これは自身と向き合うことにも繋がるんじゃないかと思ってる。

ハルカゼのキャッチフレーズである『誰かの背中を押すために』という言葉。今回のライブでもテーマとなっており、スイ役の道井さんなんかは序盤の挨拶のときにハッキリとこのフレーズを口にしていた。恥ずかしながら最近までナナシスの根底にあるこのテーマを把握していなかったし、聞いてもピンと来ない部分もあった。でも『ハルカゼ』のMVを観て、自分自身がその『誰か』になった、当事者になれた気がしたとき、腑に落ちたような感覚がありました。

この『誰か』に当てはまる可能性を全員に持たせている、そうした普遍性と解釈の幅が『ハルカゼ』のMVと歌詞には用意されていると思う。実際、MVの映像だけでは断片的なストーリーが見えてくるだけで、綺麗な起承転結がある訳ではない。

でもその必要は無くて、なぜならMVで背中を押される二人は聴き手のメタファーであり、受け手の内にあるベクトルの似た感情を引き摺り出す存在だからです。伝えられなかった言葉があるとか、あと一歩踏み出せなかったとか、自身のそういった思い出が呼び起こされたとき、ハルカゼは、ナナシスは自分の為のものになる。自分の為の歌であるように感じることが出来るし、自分の背中を押してくれるように感じることが出来る。

『誰か』とはsomeone,anyoneであるが、これは限りなくeveryoneに近い。背中を押してもらいたい瞬間、押してもらいたかった瞬間って、必ずあると思うんです。それゆえに、楽曲が『誰か』に届いたその瞬間、そこからはTokyo 7th シスターズとリスナーによる強烈な二者関係が発生する。『誰か』(=anyone)というのはリスナーである『あなた』(=you)と同一人物になる。ミソなのはここには他者が立ち入らないということ。

Tokyo 7th シスターズの全体曲における『きみ』や『あなた』はリスナーを指していて、それは『誰か』の中に内包されているという訳である。代表曲である「KILLER TUNNER」の歌詞には「君の夢 聞かせてよ」とあり、この部分は2ndライブ以外ではシンガロングも取り入れられている。特に3rdライブでは割かれる時間も長く、ラストの「君の夢 聞かせて!」の部分では、彼女達が指差した方向に自分は居なくても、自分自身に直接、1対1で語りかけられている感覚があった。

圧倒的に間口が広く、誰でも入り込めるような部屋なのに、その部屋に入るとTokyo 7th シスターズ以外には他には誰もいなくて、自分自身とTokyo 7th シスターズが向き合う格好になる。更に言うなら、Tokyo 7th シスターズは自分自身の写し鏡にもなっている。間口が広い理由はこれでもあって、解釈の幅の持たせ方が絶妙であるから、リスナーは自分自身の記憶や心境にそれを重ね合わせて、自分自身のための楽曲であるように聴くことが出来るのである。

 

 ■時代を越える普遍性

3rdライブの話に戻ると、『ハルカゼ』の歌唱のあと、『またあした』と綴られたハルからの(?)手紙がスクリーンに映し出される演出があった。この手紙の中でも印象的だったのが「私は花のようになりたいです」という一文。2公演目以降、このシーンは特報発表までの休憩タイムみたいになってた印象があって残念ですが、この一文には深い意味があったと思う。

一字一句覚えてはいないけども、「花のようになりたい」という一文の前後では「今年は散ってしまうかもしれないけど、誰かの心の中で咲き続ける」といった内容が綴られていた。

別に花に詳しいオタクでは無いんですが、花というファクターが暗喩するものは色々あると思います。桜であれば散ってしまってから次に花開くのは次の春になるわけで、それは半永久的に繰り返される円環(CIRCLE)であり、連鎖(CHAIN)とも取れる。この半永久性というのが肝でもあって、それはつまるところ時代や世代を超えていくということでもあります。一本の桜の木であっても、その下では毎年色々な出来事やドラマが起きていて、花というのは過去も現在も未来も側に寄り添い続ける存在の象徴という見方が出来る(はず)。

そしてここにTokyo 7th シスターズの在り方があると思います。ライブのMCでもあったように、Tokyo 7th シスターズ内には「セブンスからナナスタへ」、「シスターズからシスターズへ」という、世代を超えての継承という大きなシークエンスがある。また『ハルカゼ』のMVの舞台は2040年であり、ここではナナスタの『ハルカゼ』という楽曲が合唱曲として歌われている未来が描かれている。

「革命を起こせるのは音楽だけである」という旨の文章を読んだことがある。心に残り、時代を超えて紡がれていく、繋がれていく、誰もが口ずさむことが出来て、常識になり得て、よもや民衆の大意を形成出来てしまうまでの力を持つ、それが可能なのが音楽だと。

受け手の人生のターニングポイントとなるような、心に根を下ろしたそれがどこかの拍子で芽吹いて背中を押すような。花のように常に寄り添い、合唱曲のように歌い継がれ、コンビニの有線から聴こえてくるような、力強くも身近で普遍的な存在こそが、Tokyo 7th シスターズが見据える「アイドル」ではないかと思う。

 

■「押し付けない」ことを「押し付ける」という矛盾

「普遍性がある」というと、画一的であるようにも思えるが、実際はその真逆で、受け手の数だけ正解があるということになる。だからこそハルカゼは、Tokyo 7th シスターズは全ての一人一人、anyone=everyoneの為の音楽になることが出来る。

受け手によって答えが変わるという意味では、Tokyo 7th シスターズは「押し付ける」ということをしていない。答えも見方も受け手に委ねられている。しかしここで巧みだと思うのは、答えを受け手に委ねるその一方で、そういった仕掛けに関しては非常に徹底されているということである。

『ハルカゼ』のMVは、受け手と作り手の強烈な二者関係を作りだす。この物語を自身の為に観る、聴くように強く誘導する。殆ど断片的なストーリーにも関わらず多くの人が心が動かされた理由は、「押し付けない」ことを「押し付ける」という作り手の妙技にあると思うのである。

 

■普遍性と物語的アプローチ

以上、何かと話を大きくしたりアイドルがどうこうみたいな話をしてしまったんですが、ナナシスはこういうところを誤魔化さないというか真っ向から描いている、ぶつかっているように思う。それが良いんだよな~で終わりにしたいけどあとちょっと書きます。

ナナシスの普遍性が凄いみたいな話をしたけど、ナナシスはそれだけじゃない。そういった構造的なテーマを背負っているのはナナスタの全体曲というのが個人的な印象で、ユニット曲やライバル勢になってくるとまた別の切り口からの見せ方が為されていると思う。

中でもライバルにあたる4Uというバンドはエピソード4Uに見られるように強烈なキャラクター性とコンテクストを持っていて、これはある意味で普遍性は少ないと言える。誰もがウメやエモコに共感出来るかといえばそれはNOであろう。

3rdライブではHello...my friendの際にウメとエモコが向かい合って演奏し、三人が輪になって歌う画がカメラで抜かれ、4Uというバンドの"物語"を前面に押し出した演出になっていた。ハルカゼが不特定多数のリスナーに"刺さる"可能性を秘めているその一方で、これは4Uの物語を知らない人にはピンと来ないと言える。言うなればこちらは『キャラクターソング』と呼ぶべき中身になっている。

こうした棲み分けは、ハルカゼの本編MVと、初回限定版に付属する小説版においても為されていたと感じる。MVが解釈の幅、余白を持たせているのに対して、小節版はアカネの一人称で語られ、独特の心情描写も豊富にある。明確な他者の『物語』が展開されている。

個人的にはMVと小説は全く違うアプローチを見せていると思うし、小説版をMVの補完資料として考えるよりも、全く別の作品として考えるのが良いと感じる。大げさに言うならば二次創作というか。

いずれにしても二面的なアプローチがあって、双方においてその良さを生かした魅力的な作品作りが為されていると思う。

 

 

そんな感じで長くなったけど終わりにします。ライブの感想というよりただ面倒臭いだけの長文になったけどまあまあ言語化できてすっきりした気がするので良しとしたい。4Uの単独公演や武道館ライブ等も決まったので、またすごいものを見せていただきたいものです。

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