そして先日、
— 「Tokyo 7th シスターズ」公式 (@t7s_staff) 2019年7月7日
「EPISODE 4.0 AXiS」
最終話(第13話) 『初夏』
にて、EPISODE 4.0は
完結となりました。
皆様からの暖かいご声援により、
スタッフ一同最後まで
走り切ることができました!!
本当にありがとうございました!!
今後ともナナシスを
よろしくお願い致します!#t7s #ナナシス pic.twitter.com/xl5yzmn1Kk
5thライブ最高だったね……(時差)
5thライブの感想を……と行きたいところですが、この記事は『EPISODE 4.0 AXiS』に関する記事です。5thライブ前には公開するつもりで8割くらいまで書いていたものの、結局間に合わずこんなタイミングになりました。冒頭の一言は「5thライブ緊張してきた……」のはずでした。
そんな訳で、"最凶"のエピソードと銘打たれていた『EPISODE 4.0 AXiS』が先日、フィナーレを迎えました。異例のボリュームを誇る今エピソードでは、明確な"敵"と呼ぶべき存在が登場し、アイドルを続けていく上で乗り越えなくてはならない「現実」が一つの大きなテーマとして描かれていました。
そのメインストリームからは少し離れるかもしれませんが、アイドルを応援したり芸能や娯楽を消費する大衆(=マス)をどのように理解するか、これもまたエピソードにおける一つのポイントだったと思っています。この記事ではそんなマス理解に関連した『Tokyo-7th観』とでも言うべきものを軸に、エピソードを振り返っていきます。
享楽の都市 Tokyo-7th
エピソードの告知PVにおいて、Tokyo-7thは「享楽の都市」と称されていました。「享楽」という言葉は『HEAVEN'S RAVE』の歌詞にも使われていますし、エピソード内における天神ネロの台詞でも登場します。
「享楽」の意味を検索すると《思いのままに快楽を味わうこと》と出ます。「享楽主義」ならば《快楽を追求することを人生最上の目的とする主義。快楽主義》といった具合です。決して悪い意味の言葉ではないと思いますが、ネガティブな文脈で使われがちであるように感じます。
『国指定エンタメ特別経済都市』というのがTokyo-7thの二つ名ですが、「享楽の都市」というのはそれを半ば皮肉的に言い換えたものだと考えています。Tokyo-7thの大衆は「快楽主義者」である、少なくとも天神ネロからはそう見えていると言えるでしょう。
このTokyo-7th観は、本エピソードのテーマソングである、AXiS『HEAVEN'S RAVE』にも見て取ることが出来ます。解釈は分かれるところかもしれませんが、「HEAVEN=天国」というのは、享楽の都市、Tokyo-7thを表しているのだと思います。
この「天国」という言葉には、当然皮肉が込められています。曲中に登場する《だって僕らはもう 天国のスレイブ》という歌詞はとりわけ象徴的です。「スレイブ=奴隷」ですから、これは「天国の奴隷」や「快楽の奴隷」といった意味合いになります。
『HEAVEN'S RAVE』(≒HEAVEN SLAVE)という楽曲、ひいてはAXiSというユニットは、快楽の奴隷たるTokyo-7thの大衆へと投下された快楽物質であり、それに狂喜乱舞する様は、皮肉を皮肉と気付かず踊り狂う滑稽さ浮き彫りにするのです。
(街の人……許せねえ!)
実際、瞬く間にTokyo-7thの大衆はAXiSを支持するようになり、777☆SISTERSはその人気や地位を著しく落とすことになります。「世間はいつだって派手好き」と天神ネロが語るように、目の前に流行り物があればすぐに飛びつくインスタントな存在としての描写がここにはありました。無論、AXiSのパフォーマンスが優れていたからこそ支持を得られたことに間違いはないでしょうが。
信念や方法こそ違えど、AXiSはセブンスシスターズと同じ現象を起こしている認識でいます。裏返せば、セブンスシスターズの台頭期も、Tokyo-7thの大衆は似たような動きを見せたことが伺えます。天神ネロの姉は、まさにその現象の被害者になった人物であり、エピソード内の777☆SISTERSと似たような状況に陥っていたと言えます。777☆SISTERSの苦境は、皮肉にもセブンス台頭期のアイドルたちの苦境を鑑のように映し出すのです。
天神ネロの姉が昔アイドルをやっていたことは、Dr.ENDや比嘉アグリの口から明かされます。ネロの姉は医療特区であるEzo-5thで入院中であり、その原因がセブンスシスターズにあることも示されます。
天神ネロが大衆を移り気でインスタントな存在であると見做す要因は、このセブンス台頭期の教訓にあると言えるでしょう。この辺りは、アイドル界隈などでよく使われる、いわゆる「推し変」とか「他界」といった概念にも掠っているように思います。
姉を奪われた天神ネロの怒りの矛先は、当然セブンスシスターズ、特に同じ声を持つ七咲ニコルに向いています。しかし同時に、セブンスシスターズに飛びつき、姉のアイドルグループを簡単に見限ったTokyo-7thの大衆、更にはアイドル産業そのものにまでその怒りは向いているのです。
エピソード内では他にも、Tokyo-7hの大衆に対する批判染みた描写が見られます。特に、蓬莱タキが帝塚セネカへのファンレターを読み上げた後、それを破り捨てんとするシーンは印象的です。これに関しては正直「アイドルコンテンツでここまでやっていいのか……」とこちらがヒヤヒヤするような領域まで踏み込んでいます(自分も声優やアイドルにファンレターを出したことがありますし、結構心が痛かったです)。
しかしながらこうしたTokyo-7th観はAXiSが持っているものです。後で書きますが、ここに対抗するように提示されたのが、777☆SISTERが持つTokyo-7th観だったのだと思います。
天神ネロの誤算
エピソードの話に戻りますと、777☆SISTERSを倒して解散に追い込むというネロの計画は、ほぼ順調に進んでいました。対決ライブではAXiSがチームの輪を乱すものの、天神ネロが仕込んでいた妨害行為を以ってすれば、777☆SISTERSには簡単に勝てる予定でした。その用意周到さは4UやKARAKURIの乱入さえも予期しており、航空灯を消すという手段でそれを未然に防いでいました。
しかし、一つの誤算が完璧に思えた計画を狂わせます。直接的に言ってしまえばそれは、会場を青く染め上げたペンライトの光でした。この光が航空灯の役割を果たし、4UとKARAKURIの乱入を可能にします。結果として演奏と照明も復活、777☆SISTERSはフルパフォーマンスに近い状態でライブを披露し、AXiSに勝利することが出来たのです。
言うまでもありませんが、この青い光を灯したのは会場に集まったファンたち。天神ネロが「快楽の奴隷」と見做したTokyo-7thの大衆なのです。天神ネロの最大の誤算は、まさにTokyo-7thであり、そしてそのTokyo-7thを信じ続けた春日部ハルという女の子だったのだと思います。
Tokyo-7thを信じ続け、奇跡的な逆転劇を起こしたのが、777☆SISTERSであり、春日部ハルです。AXiS陣営の妨害を受け、パフォーマンスがほぼ不可能になったステージの上。「この歌をいつも一人で歌っていた」という『またあした』を歌ったハルは、人間同士が心を通わせるための言葉を紡ぎます。
一人ひとりはどうしようもなく、ひとりぼっちであるということ。別個の溶け合えない他人であるということ。アイドルらしからぬ現実的なセリフ。「アイドルはアイドルじゃなくていい」、六咲コニーの最後の授業が脳裏を過ぎります。偶像が人間らしくあってもいい。一人の女の子であっていい。
春日部ハルが一人の人間として発した言葉は、Tokyo-7thの縮図であるエッグホールに確かに届いたのです。溶け合えずとも言葉で通じ合おうとする、それはまさに人間だけが持つ独自の習性であるように思います。
春日部ハルが最後まで語りかけたこと。偶像でなく人間として向き合って伝え続けたこと。彼女が大衆を、Tokyo-7thを諦めずに信じ続けたことで、大衆の深い部分もまた、それに呼応したのだと思います。
Tokyo-7thに対する認識の差。天才・天神ネロの誤算の根本はここにあったと考えます。
セブンスを越える777☆SISTERS
Tokyo-7thを快楽の奴隷と見做し、燃やし尽くそうとした天神ネロ。Tokyo-7thの一人一人を信じ、自身もまた一人の人間として向き合った春日部ハル。このTokyo-7th観の違い、ぶつかり合いは、きっと本エピソードの根幹にも迫るものでした。
春日部ハルの言葉は天堂寺ムスビに届き、メンバーにも届いたはずです。その後の777☆SISTERSのライブステージが素晴らしいものになったことは、想像に難くありません。その姿は、天神ネロに「本物」だとさえ言わしめます。
私怨こそあれど、天神ネロもハルたちと年の変わらない少女であり、セブンスシスターズが活躍する時代を最前線で生きたはずです。そんな天神ネロの口から「本物」という言葉を引き出した777☆SISTERSは、セブンスシスターズを越えたとも言えます。六咲コニーが角森ロナに背中を押され、自身の役目を終えたことを悟る一連の流れもまた、それを象徴しています。
777☆SISTERSが行き着いたその場所は、セブンスシスターズにも、七咲ニコルにも到達出来なかった境地だったと言えるでしょう。Tokyo-7thへの向き合い方という観点から見ても、セブンスシスターズが成し得なかった在り方を、777☆SISTERSは体現したように思うのです。
おわりに
簡単ではありますが、『Tokyo-7thの大衆』といった切り口からエピソードを振り返ってみました。あくまでも一つの側面から見たものですし、まだまだ読み解いていくべき、考察していくべきポイントもあるとは思いますが、ひとまず終わりにしたいと思います。
エピソードの告知を見た当初は、これまでとの雰囲気の違いに不安に思うところもありましたが、本当に素晴らしい名エピソードでした。気が早いですが、『EPISODE 0.7』も楽しみです。
それでは、ここまでお読みいただきありがとうございました。
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手前味噌ですが、セブンスシスターズの『WORLD'S END』に関連した記事を過去に書いています。殆どが妄想ベースの内容ですが、当時のセブンスシスターズのTokyo-7th観についても若干触れています。