小説『君の名は。 Another Side:Earthbound』の話

 

君の名は。 Another Side:Earthbound (角川スニーカー文庫)
 

 

「君の名は。」の小説版は二種類ある。一つは新海誠監督によって書き下ろされたもの。角川文庫より発刊されており、これはいわゆる「原作」的な立ち位置の作品となっている。映画の製作と並行して書かれたとのことなので、「原作」と呼ぶのは厳密には正しくないのかもしれないけど。

そしてもう一つは、いわゆる「スピンオフ」、「アナザーストーリー」的な立ち位置となる『君の名は。 Another Side:Earthbound』である。角川スニーカー文庫より発刊。これが非常に良かったの記事にしてみる。

 

 

この作品は大きく四つの章から成り、それぞれの章に主人公が立てられる。

①立花瀧(宮水三葉の身体に入っている)

②勅使河原克彦

③宮水四葉

④宮水俊樹

以上の四人であり、表紙に描かれている4人にスポットが当たる。映画と同じ時系列の中で進む章もあれば、映画よりも過去の話をやっているものもある。

 

新海誠監督の小説(以下『原作小説』)と映画の内容は殆ど同じだ。しかしながら文章と映像という媒体の違いによって異なる角度から『君の名は。』を見ることが出来る。風景描写に関しても、映画では映像で語られていたものが、原作小説では当然言葉によって語られるので、その違いも面白い。言うなれば、原作小説と映画は「縦の深さ」を相互に加えてくれる。

一方で、この『君の名は。 Another Side:Earthbound』は、『君の名は。』の世界に「横の広さ」を加える。本編で描かれなかった出来事が描かれる。またそれを通して、キャラクターの内面・パーソナリティといった情報が追加される。「本編のこのときに、こんな心境でいたのだ(/いたのかもしれない)」という見方が出来るようになる。「横の広さ」を知ることで、結果として「縦の深さ」が加わるという形である。まあ本作に限らず、スピンオフ作品は全般的にこうした性格を持つ。

 

本作の良かった点としては、「余韻の残る終わり方を見せる」というのがある。

スピンオフ作品ということになっているが、本編を知らないままこの作品だけ読んで楽しむのは難しいと思われる。何故かと言うと、起承転結が丁寧に展開される章が殆どないのである。導入部分は各章ともに最低限だし、各章とも本編に繋がる終わり方を見せる。(四章目に関しては例外で、起承転結があるように思える)。

本編における起承転結の「承」の部分を切り出して、様々な角度から詳しくやっているというのがわかりやすいかもしれない。「余韻の残る終わり方」というのはそういう意味で使っている。この作品内で何か結論が出るというより、この作品を知ることで、本編の様々な部分に対する見え方に変化が起こる(スピンオフとはそもそもそういうものかもしれないですが)。その影響の及ぼし方が、強すぎず弱すぎず絶妙で素晴らしい。

 

「君の名は。」にハマったクチであれば必読本と言ってもいいと思う。各章とも重要で、特に四章は作品全体の見え方が大きく変わる内容になっている。一章のラストシーンも、瀧と三葉の関係性を考える上で面白い。新海誠監督は登場人物の中で勅使河原にシンパシーを感じると言った旨の発言をしており、二章ではそんな勅使河原の内面が色濃く描かれている。

まだ行けてないけど、読んだ後にもう一度映画を見るときっと楽しいと思う。

くろろのたのしいディスカバリー(2016年9月)

 

9月の振り返り的な記事を作成。

 

■大今良時/山田尚子『映画 聲の形』(2016.9.17 公開) 

映画『聲の形』Blu-ray 初回限定版

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  • 発売日: 2017/05/17
  • メディア: Blu-ray
 

 

京都アニメーションの新作映画。同タイトルの原作漫画を映画化したもの。

尺の問題などから原作を再構成するというのは、映画化において必要不可欠な手順。そうしたときに、『削られる部分』は必ず出てくる。大事になるのは、『削らざるを得なかった』なのか、『削ることが出来た』なのかだと思う。

この作品は後者だと感じた。パステルカラーの高明度な画面、石田へのフォーカス、結末部分の変更等で、原作の胸が詰まるような人間関係の重さが多少緩和されている。要するにいい感じに再構成出来てるなと思いました。

8月の『シン・ゴジラ』や『君の名は。』に続いて、いい映画を観る機会があって嬉しい。『登場人物の成長』にフォーカスした個別記事を作成済。うまく書けたような書けてないような記事。

 

 

■南條愛乃『南條愛乃 LIVE TOUR 2016 "N"』(2016.9.19 参加) 

Nのハコ(通常盤)

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  • アーティスト:南條愛乃
  • 発売日: 2016/07/13
  • メディア: CD
 

 

個人的な話として、音楽ライブに行く動機は大きく分けて二つある。

一つは「現地の熱を感じたい」、「盛り上がりたい」、「一体感を楽しみたい」というもので、アイドルもののライブなんかはこの目的で足を運ぶことが多い。もう一つは「生で歌声を聴きたい」とか「大音量や生演奏で曲を聴きたい」というもので、これは個人アーティストやバンドのときなんかに多い。もちろん両方というパターンもある。

後者に関連して、「いつの日か生で歌声を聴きたい」と強く思っていた声優アーティストが二人いた。一人は早見沙織さん。もう一人は南條愛乃さんで、こちらに関しては今回のツアーで望みを果たしてきた。パシフィコ横浜に参戦。

fripSideのボーカルとしても活躍する南條さんの歌声は、言うまでもなく素晴らしい。声優も歌って踊れなきゃいけない時代みたいに言われるけど、半分は賛成である。そうしないといけないかは置いておくとしても、確実に需要はある。(それでお金を稼いでしまう程に)声が美しい人が歌うのだから、当然といえば当然と言える。声優がソロデビューするのも、半ば必然ではあると思う。

サイリウムを消灯するよう促し、ステージ演出と歌声で魅せる時間帯があり、非常に素晴らしい時間だった。宝石のように美しい声は、『ヒカリノ海』のようなバラード曲のロングトーンで一際輝きを放っていた。一方でアップテンポな曲もあって、それがまた可愛すぎない程度の大人な可愛らしさなのがまた素敵。贅沢な音を聴くことが出来ました。目で見る分にも、衣装や演出といった面で楽しめた。

 

■ハイスクール・フリート『赤道祭 2016』(2016.9.24 参加)

ハイスクール・フリート 2(完全生産限定版) [Blu-ray]

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  • 発売日: 2016/07/27
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はいふりのイベントに参加。BD買って応募したよ(BD買ったときの記事はこちら)。

イベント会場が格式がありすぎて本当にはいふりのイベントなのか心配になったけど、登壇キャストを目の前にすると負けず劣らずの豪華っぷりで凄かった。

色々と盛りだくさんだったけど、登壇キャスト全員で行った朗読劇が最高だった。納沙幸子の一人芝居を生で見ることが出来て感激。久保さんの朗読も貴重。

納沙幸子を演じる黒瀬ゆうこさんは、トークなどはまだ慣れていない感じがあるけど、役者モードになったときは圧倒的。紛う事なき実力派声優ですね。思い返すと、ナナシスのライブでもダンスやパフォーンマンスでキャラクターが完全に憑依していた。はいふり1巻のスペシャルブックでも、納沙幸子へのキャラクター理解の深さが凄かった。はいふりという作品への愛も深いようでした。

イベントの前後では横須賀をぶらぶら探索して海軍カレーを二種類食べた。はいふりとコラボしてる晴風カレーも食べられたので良かった。

横須賀を観光目的で訪れるのは初めてだったけど、ハンバーガーショップやバールが通りに点々とあって、アメリカナイズされた感じが見ていて新鮮だった。 

 

■あまんちゅ!最終回上映会~新しい宝物が見つかる~(2016.9.25 参加)

 

あまんちゅ最終回上映会に参加。発売日に新宿ピカデリーのHPでF5連打して4列目を確保した。

良く考えると、劇場版でない通常放送のアニメを劇場で見るというのは初めての経験だった。OPの映像をスクリーンで見られたの非常に感激だった。OPのサビで、てこが懐中を見るところが、スクリーンで見ると飲み込まれそうになるほどの大迫力で、最高でした。1億円拾ったらプロジェクターとか用意して家に似たような環境を作り出したい。

上映後はキャストトークがあり、緩い感じで楽しかった。久保ユリカさんと、久保ユリカさん演じる『ちゃ顧問』にスポットを当てたコーナーがあり、これが盛り上がった。久保さんは司会進行役とクイズの出題者を兼任、喋ってる時間が多くて満足だった。

アニゲーイレブンや胃痛ラジオなど、メインパーソナリティを務める場となれば、当然しゃべりまくることになるけど、こういう色んなキャストが集まる場でがっつり司会をやって場を回していく姿は初めて見たので良かった。

いわゆるひな壇的なポジションに回ったときは、会話の中心になって引っ張っていくというより、随所で突っ込みを入れていく感じなので、口数が少なめになりがちな印象。まあその突っ込みのタイミングや言葉選びが絶妙だったりもするわけですが。あとは他のキャストがうまく喋れてないときにさり気なくサポートや補足をする姿も良く見る。優しい。

20時から開始で、千葉県民の俺の終電が危うくなるまでイベントは続いた(翌日は月曜)。嬉しいやら苦しいやら。

 

■太田英基『日本がヤバイではなく、世界がオモシロイから僕らは動く。』

 

TOEICで英語の意識が高くなった結果、グローバルな視点を養おうという意識が高まって買った本。個人的にかなり重要な本になった。

完全に受け売りではあるけど、俺くらいの世代だともうグローバル化の波から逃れることは出来ない。国内市場も軒並み衰退している中、終身雇用の日系企業でエスカレーター式に出世していける保証は無い。いずれ海外のビジネスマンと対等にやっていく必要が出てくる。

本書にも書かれている通り、頭の中の地図を『日本地図』から『世界地図』にする必要がある。何か新しいビジネスを考えるとき、顧客のニーズを考えるとき、「世界の誰が欲しがるか」を自然に考えられる脳味噌じゃないといけない。

そういう視点など全く無かったのでインパクトの大きい読書だった。著者は、25歳で英語力ゼロの状態から、留学で語学を鍛えて、世界一周の旅を敢行。各国のビジネスマンに会いまくってノウハウや人脈を構築、今は日本で留学支援の会社をやっている。かっこいい。

そんな訳で自身のキャリアを見つめ直す機会にもなった一冊だった。

 

 

そんな感じで終了。TOEIC試験にリソースを割いていて9月の記事更新自体が少なかったのもあり、ブログのことが頭からすっかり抜けてるような時期もあった。

なんだかんだで今年の1月から9ヶ月続いているので、とりあえず12月まで継続出来るようにしたい。この記事も最初は書くのそこまで乗り気じゃなかったけど、書き始めると結構いいアウトプットになった感覚はあるので、大事にしていく。

映画『聲の形』 感想 成長しないこと、欠落を埋めないこと

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9/17に公開した京都アニメーションの劇場最新作『聲の形』。公開2日目に当たる9/18に見てきた。感想なり考えたことなり以下書いていこうと思います。

 

■内容以外について

まずは踏み込んだ内容以外の部分について。

原作は既読。率直な感想としては、原作から削ってあるエピソードもあったりで、後半で急展開だなと思う部分があった。ただ原作の時点でも何か急な展開だなと思っていた箇所なので、縮めて圧縮するとどうしてもそうなってしまうのは仕方無い部分かなと思う。

重い題材ではあるけど、笑えるシーンや救われる部分もあって、視聴後にキツい気持ちが残るということはなかった。結末部分も原作からだいぶ変わっていて、爽やかな終わり方だった。

演出面に関しては、音や声という、この作品にとって重要になる部分への配慮が為されていて、すごく気を遣って丁寧に作られているなと感じた。

音楽は画面の彩度に合った、淡いパステルカラーを想起させるような、優しくてでも楽しげなBGMが印象的。声優の演技に関しても、早見沙織さんを筆頭にしてすごい。手話のタイミングと合わせた、たどたどしいリズムでの喋り方も、違和感が無いように徹底されていると思う。

 

■内容について

内容の具体的なところの話。大体こっちを書きたくてこの記事を書いてる。

今回劇場版を見て、『聲の形』作品は成長を安易に描くことをしていない、と感じた。この点に絞って以下書きます。

本来、物語作品に求められるものは登場人物の成長だったり変化だったりする。キャラクターが何かしらの障壁にぶつかり、でも苦悩や努力の末に成長して、最終的にそれを乗り越える。感情移入していた視聴者はそこで歓びや勇気や感動やカタルシスを得る。というのが王道とされているストーリー構成。だと思ってる。

 

この作品では登場人物の小学校時代と高校生時代の二つの時系列が重要な時系列として描かれる。小学校時代に一つの『事件』を経験したキャラクターや周りの人々が、年月を経て再び集うことになる。

このキャラクターたちの本質は、高校生になっても小学生時代からあまり成長・変化していないように感じた。そして、作中の時間の流れにおいても、明確な成長や変貌を遂げる人物は少ないと思う。

 

例えば植野は最後まで素直じゃない。でも根はいいやつで、主張には最初から最後まで一貫性があって、自分のルールがちゃんとある。西宮を排除する前にだって一度手を差し伸べようとしている。川井は最初から自分が可愛くて正義感が強くて、でも善意の裏側に紙一重で存在する保身の醜悪さを最後まで自覚しない。佐原は最初から優しくて、でも最後までどこか臆病な自分は根っこの部分でついて回ってる。西宮は率直かつ大胆で、でもどこか不器用で下手くそだ。自分を蔑ろにする態度が他人を戸惑わせてしまう。

石田に関しては、ラストシーンで世界の顔と声を直視出来るようになる。これは明確な変化だけど、内面の成長で掴み取った実績という印象はない。石田は戸惑って涙を流してる。自分を仲間達が迎え入れてくれて、その暖かい場所から見るからこそ見える景色というか、そういう角度とか足場の問題のような気がする。

 

この辺りは俺のこじつけ臭い部分もあるのでアレなんだけど、でも成長物語という感覚はやっぱりなくて、上記したような角度とか足場とかタイミングとか、そういう問題なんじゃないかと思ってる。

成長とか変化って、現実の世界ではそう簡単に起こるものじゃなくて、脆いバランスで成り立ってるところに何かしらの刺激があることで、事態や関係性が好転したり悪化したりしてるだけなんじゃないかと。それを引き起こした刺激というのは、例えば西宮が転校してきたことだったり、石田が贖罪のために色々と動いたことだったり。

 

後半、遊園地のシーンで、植野のこんな台詞がある(うろ覚え)。

西宮さんが来なければ、私たちこんなことにはならなかったよね

これはかなり本質を突いていると思った。

西宮という刺激がなければ、確かにそうだったと思う。たぶんみんな仲良くやってる。役割とか立場とかが今と少し入れ替わるだけで、それなりに楽しくやってるんだろうと思う。揺さぶりによって崩れてしまう脆さは抱えていたとしても、その揺さぶりさえ無ければ、未熟で足りないなりにも、うまくやっていくことは出来たんだと思う。

 

キャラクターたちは全員、最初から最後まで良いやつだと思う。でも同時に、最初から最後までどこか欠けてもいる。この欠けてる部分っていうのを安易に埋めてしまったり、簡単に矯正してしまわないところが、この作品の特徴的な所だと思う。そういう矯正をやらないことで、上記したような関係性の変化がリアルに表現されていたと感じた。

欠落は誰にだってあるし、でもそれもパーソナリティの一つで、そこを伏せたり矯正したりせずにちゃんと描いているからこそ、キャラクターの人間味がはっきりと色濃く描かれていると思う。そういう醜い部分は視聴者だって持ってるから、それを突きつけられた気がしてはっとなる。この作品が強烈なのはそこに通じてる気がする。

そして逆説的に言えるのは、欠落があってもうまくいくケースだってある。どこか欠けている部分があっても、それを克服出来ていなくても、ハッピーエンドを迎えられることはある。劇場版の救いのあるラストはそれを示してくれている(と勝手に思ってる)。

 

そんな感じで終わります。まだうまく言葉に出来てない感じはある。こじつけてしまって頭が固くなってる感じもある。でもある程度ニュアンスが伝わる程度には書けた気がする。

 

 

聲の形(1) (週刊少年マガジンコミックス)

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  • 作者:大今良時
  • 発売日: 2014/01/17
  • メディア: Kindle版
 
小説 聲の形 上 (講談社青い鳥文庫)

小説 聲の形 上 (講談社青い鳥文庫)

 

 

小説も出てるっぽい。著者に吉田玲子の名。

新海誠「君の名は。」に見る純愛と鬱屈

新海誠監督作品 君の名は。 公式ビジュアルガイド

新海誠監督作品 君の名は。 公式ビジュアルガイド

  • 作者:新海 誠
  • 発売日: 2016/08/27
  • メディア: 単行本
 

 

『君の名は。』の公開から二週間。異例の大ヒット作品となっていて、感想を色んなところで見る。

数ある感想の中で良く目にするのが「純愛」というワードだ。奇跡が繋がって二人がカタワレ時に再会するシーンや、5年後にもう一度巡り会うラストシーンなどを指してそう評されている。また、この辺りに関して「新海誠らしさがなくなった」という意見も多かった。

公開日に一度観に行ったけど、こうした意見に関して、個人的にあまり殆どピンと来なかった。入れ替わって世界を共有しているとは言っても、直接会ったことも話したこともない相手を好きになって、乏しい手がかりで必死こいて会いに行くなんて、純愛というよりもどこか歪な感情だし、そこが新海誠らしさであってこの映画の良さだとすら思っていた。

ただ、上記したような色んな意見を目にした上で、もう一度劇場に足を運んで二回目を観てみると、少し見え方が変わってきた。その辺りについて考えたことなどを書いていく。

 

 

■瀧と三葉、それぞれの好意について

 

「君の名は。」には恋愛要素が登場する。ただ、瀧と三葉のお互いへの好意、恋愛感情はそれぞれ種類の異なるものだという風に感じた。その違いについて少し考えてみた。

 

1. 三葉→瀧の好意について

これに関してはかなりストレートで共感を呼びやすいものだ。好意が芽生える瞬間は明確に描かれていないと思うけど、それを裏付ける行動は多い。

三葉は瀧に会うために会いに行く。会いに行くのは瀧と奥寺先輩のデートの日。

そもそもデートのセッティングをしたのは三葉だし、普段から瀧の片想いを応援するつもりで奥寺先輩との仲を深めている。ただ、本来なら三葉が奥寺先輩とデートする予定が、デート当日に入れ替わりが起きなかったことで、三葉は「二人の蚊帳の外」という立場に初めて明確に置かれる。「二人は今頃デートか…」という台詞も印象的。

結局三葉は、瀧が気になって東京へと向かう。片道5時間の移動の中で、「急に会いに来たら、少し喜ぶかな…」と少し期待もしている。この道中で三葉は、いつからか芽生えていた瀧への好意を自覚し始めるのでは無いかと思う。

三葉は実際に瀧との接触に成功するものの、瀧に「誰、お前?」と言われて消沈。髪を切って週明けの学校も休んでしまう。髪を切るという行動からも、三葉に「失恋した」という意識があるのは間違いない。言い換えれば、瀧への恋愛感情があって、それを自覚していたということになる。

失恋してすぐに彗星の日がやってきて、恋愛が成就しないままに三葉は死んでしまう。しかし、瀧の行動によってカタワレ時の邂逅が実現する。そこから歴史が変わり、5年後に東京で再び巡り会うことになる。

 

2. 瀧→三葉の好意について

三葉→瀧の好意に対して、こちらは少し毛色が違うと思った。三葉が瀧に会うために会いに行くのに対して、瀧は少し違う。

奥寺先輩とのデートの翌日以降、三葉との入れ替わりは発生しなくなる。瀧は、三葉と糸守を喪う。そしてそこから三葉と糸守への想いは強くなっていく。人が変わったような険しい表情でスケッチブックに記憶の中の糸守を描き、それを持って瀧は糸守へと向かう。

瀧の中で三葉は大切な存在になっていたことは間違いない。自覚が薄いだけで恋愛感情も抱いていたと思う。でも、この時の行動原理には、純粋な三葉への想いの他に、大切なものを喪った喪失感執着心といった、入り組んだ感情が乗っかっていたように思う。純愛の甘酸っぱさというより、鬱屈した痛切なほろ苦さが伝わってくる。

 

奥寺先輩が煙草を吸いながら瀧のことを喋るシーンがある。

瀧くんは誰かに出会って、その子が瀧くんを変えたのよ。

それだけは確かなんじゃないかな。

うろ覚えだけどこんな内容。瀧は変わった。心の大部分が三葉のための場所になっていた。そういう重要な出会いだった。ただそれは、一歩間違えば呪いにもなり得る。作品としてそれを狙っていたのかはわからないけど、三葉の影を追い求める瀧の姿にはそうしたネガティブな印象も抱いた。

 

 

■「君の名は。」の二面性

 

一回目の視聴では主に瀧に感情移入していたと思う。劇場で配布されていた小冊子「君の名は。スペシャルガイドブック」には、新海誠のメッセージとしてこう書かれている。

 

すべての思春期の若者と、

思春期の残滓を抱えた

大人のための映画です

 

記憶の中に強く残り続ける風景。自分に変化をもたらした出会い。このメッセージを見ていたのもあって、そういう思春期臭いものを思い返したりつつ見ていた。映画館を出た後もその印象が強く残っていたし、純愛や恋愛映画という側面よりは、喪失だったり通過儀礼だったり鬱屈した思春期を描いた、新海誠らしい青春映画という認識をしていた。だからこそ純愛と聞いてもピンと来なかったのかなと思う。

一方で二回目は恋愛感情という点に重きを置いて観たのと、初見で理解出来なかった、あるいは理解するのに精一杯だったことが整理出来たことで、三葉に感情移入してみることが出来た。三葉の視点を重視して見てみると、純愛という評判も頷ける恋愛映画だという感想になった。

結局のところ、どこに重点を置いて観るかで変わってくる。三葉の心も糸守も救われて、未来で再会するという結末は、恋愛映画のそれだと言える。でも、その結末に辿り着くまでには瀧の行動があって、その行動の源泉になったのは、純粋な好意だけじゃなく、喪失と執着に彩られた鬱屈した感情でもあって、そうした過程の部分では従来の新海作品らしいナイーブな自意識が描かれていて、青春色、思春期色が強いなとも思う。

新海誠らしさは確かに残ってるし、でも従来の新海誠っぽくないストレートな純愛要素もあって、そういう二面性を持った作品だと思う。三葉が髪を切ってもらうシーン。瀧が汗を垂らしながら糸守を描くシーン。片方がガツンと来る人もいるだろうし、あるいはどちらもピンと来ないという場合もあるだろう。その辺りの感じ方で読後感が変わってくるのかもしれない。

 

と、ふわりとしたというか何も言ってないような結論になってしまった。純愛なのかとか新海誠らしいのかとか、どうにも枠に当て嵌めた書き方ばかりしてしまったけど、そういう小難しいの抜きにしても楽しめる素晴らしい作品だったし、凄く好きな作品になりました。次回作についても早々に動き出していくみたいなので、のんびりと楽しみに待っています。

 

 

 ◆参照・関連ページ

 

BAYCAMP2016の大森靖子

9/3(土)の昼~9/4(日)の朝方にかけて行われた、BAYCAMP(ベイキャンプ)という野外ライブに参加。俗に言う夏フェスというやつ。去年初めて参加して非常に良かったので今年も似たメンバーで行ってきた。

タイムテーブルは一応これ↓。

 

http://image.pia.jp/uploads5/files/6914/7184/4466/baycamp2016-timetable.jpg

 

 

特に詳細をレポートするつもりも無いんだけど、衝撃的だったアーティストがいたのでそれだけ書いておく。大森靖子というアーティストだ。

 

 


音楽は魔法ではない

 

でも、音楽は

 

これは別のフェスの映像だけど、ベイキャンプでもこんな感じだった。正直一ミリも知らなかったし、この間に近くのコンビニに飯でも買いに行こうかと思ってたけど、友人がすごいからと言うので見に行った。友人とコンビニに行かなかった自分に感謝してる。

映像だとどうしても、という部分はあるけど、生のステージは凄まじかった。何もかもがむき出し。もはや歌になってるかすら怪しい。それでも、繰り返される「音楽は魔法ではない」のフレーズに、確かに揺さぶられた。

アートで伝えようとしてる人が確かにいる。良い出会いだった。Wikipediaに書いてある以外のことも、少しずつ知れたらいいと思う。