映画『聲の形』 感想 成長しないこと、欠落を埋めないこと
9/17に公開した京都アニメーションの劇場最新作『聲の形』。公開2日目に当たる9/18に見てきた。感想なり考えたことなり以下書いていこうと思います。
■内容以外について
まずは踏み込んだ内容以外の部分について。
原作は既読。率直な感想としては、原作から削ってあるエピソードもあったりで、後半で急展開だなと思う部分があった。ただ原作の時点でも何か急な展開だなと思っていた箇所なので、縮めて圧縮するとどうしてもそうなってしまうのは仕方無い部分かなと思う。
重い題材ではあるけど、笑えるシーンや救われる部分もあって、視聴後にキツい気持ちが残るということはなかった。結末部分も原作からだいぶ変わっていて、爽やかな終わり方だった。
演出面に関しては、音や声という、この作品にとって重要になる部分への配慮が為されていて、すごく気を遣って丁寧に作られているなと感じた。
音楽は画面の彩度に合った、淡いパステルカラーを想起させるような、優しくてでも楽しげなBGMが印象的。声優の演技に関しても、早見沙織さんを筆頭にしてすごい。手話のタイミングと合わせた、たどたどしいリズムでの喋り方も、違和感が無いように徹底されていると思う。
■内容について
内容の具体的なところの話。大体こっちを書きたくてこの記事を書いてる。
今回劇場版を見て、『聲の形』作品は成長を安易に描くことをしていない、と感じた。この点に絞って以下書きます。
本来、物語作品に求められるものは登場人物の成長だったり変化だったりする。キャラクターが何かしらの障壁にぶつかり、でも苦悩や努力の末に成長して、最終的にそれを乗り越える。感情移入していた視聴者はそこで歓びや勇気や感動やカタルシスを得る。というのが王道とされているストーリー構成。だと思ってる。
この作品では登場人物の小学校時代と高校生時代の二つの時系列が重要な時系列として描かれる。小学校時代に一つの『事件』を経験したキャラクターや周りの人々が、年月を経て再び集うことになる。
このキャラクターたちの本質は、高校生になっても小学生時代からあまり成長・変化していないように感じた。そして、作中の時間の流れにおいても、明確な成長や変貌を遂げる人物は少ないと思う。
例えば植野は最後まで素直じゃない。でも根はいいやつで、主張には最初から最後まで一貫性があって、自分のルールがちゃんとある。西宮を排除する前にだって一度手を差し伸べようとしている。川井は最初から自分が可愛くて正義感が強くて、でも善意の裏側に紙一重で存在する保身の醜悪さを最後まで自覚しない。佐原は最初から優しくて、でも最後までどこか臆病な自分は根っこの部分でついて回ってる。西宮は率直かつ大胆で、でもどこか不器用で下手くそだ。自分を蔑ろにする態度が他人を戸惑わせてしまう。
石田に関しては、ラストシーンで世界の顔と声を直視出来るようになる。これは明確な変化だけど、内面の成長で掴み取った実績という印象はない。石田は戸惑って涙を流してる。自分を仲間達が迎え入れてくれて、その暖かい場所から見るからこそ見える景色というか、そういう角度とか足場の問題のような気がする。
この辺りは俺のこじつけ臭い部分もあるのでアレなんだけど、でも成長物語という感覚はやっぱりなくて、上記したような角度とか足場とかタイミングとか、そういう問題なんじゃないかと思ってる。
成長とか変化って、現実の世界ではそう簡単に起こるものじゃなくて、脆いバランスで成り立ってるところに何かしらの刺激があることで、事態や関係性が好転したり悪化したりしてるだけなんじゃないかと。それを引き起こした刺激というのは、例えば西宮が転校してきたことだったり、石田が贖罪のために色々と動いたことだったり。
後半、遊園地のシーンで、植野のこんな台詞がある(うろ覚え)。
西宮さんが来なければ、私たちこんなことにはならなかったよね
これはかなり本質を突いていると思った。
西宮という刺激がなければ、確かにそうだったと思う。たぶんみんな仲良くやってる。役割とか立場とかが今と少し入れ替わるだけで、それなりに楽しくやってるんだろうと思う。揺さぶりによって崩れてしまう脆さは抱えていたとしても、その揺さぶりさえ無ければ、未熟で足りないなりにも、うまくやっていくことは出来たんだと思う。
キャラクターたちは全員、最初から最後まで良いやつだと思う。でも同時に、最初から最後までどこか欠けてもいる。この欠けてる部分っていうのを安易に埋めてしまったり、簡単に矯正してしまわないところが、この作品の特徴的な所だと思う。そういう矯正をやらないことで、上記したような関係性の変化がリアルに表現されていたと感じた。
欠落は誰にだってあるし、でもそれもパーソナリティの一つで、そこを伏せたり矯正したりせずにちゃんと描いているからこそ、キャラクターの人間味がはっきりと色濃く描かれていると思う。そういう醜い部分は視聴者だって持ってるから、それを突きつけられた気がしてはっとなる。この作品が強烈なのはそこに通じてる気がする。
そして逆説的に言えるのは、欠落があってもうまくいくケースだってある。どこか欠けている部分があっても、それを克服出来ていなくても、ハッピーエンドを迎えられることはある。劇場版の救いのあるラストはそれを示してくれている(と勝手に思ってる)。
そんな感じで終わります。まだうまく言葉に出来てない感じはある。こじつけてしまって頭が固くなってる感じもある。でもある程度ニュアンスが伝わる程度には書けた気がする。
小説も出てるっぽい。著者に吉田玲子の名。
新海誠「君の名は。」に見る純愛と鬱屈
『君の名は。』の公開から二週間。異例の大ヒット作品となっていて、感想を色んなところで見る。
数ある感想の中で良く目にするのが「純愛」というワードだ。奇跡が繋がって二人がカタワレ時に再会するシーンや、5年後にもう一度巡り会うラストシーンなどを指してそう評されている。また、この辺りに関して「新海誠らしさがなくなった」という意見も多かった。
公開日に一度観に行ったけど、こうした意見に関して、個人的にあまり殆どピンと来なかった。入れ替わって世界を共有しているとは言っても、直接会ったことも話したこともない相手を好きになって、乏しい手がかりで必死こいて会いに行くなんて、純愛というよりもどこか歪な感情だし、そこが新海誠らしさであってこの映画の良さだとすら思っていた。
ただ、上記したような色んな意見を目にした上で、もう一度劇場に足を運んで二回目を観てみると、少し見え方が変わってきた。その辺りについて考えたことなどを書いていく。
■瀧と三葉、それぞれの好意について
「君の名は。」には恋愛要素が登場する。ただ、瀧と三葉のお互いへの好意、恋愛感情はそれぞれ種類の異なるものだという風に感じた。その違いについて少し考えてみた。
1. 三葉→瀧の好意について
これに関してはかなりストレートで共感を呼びやすいものだ。好意が芽生える瞬間は明確に描かれていないと思うけど、それを裏付ける行動は多い。
三葉は瀧に会うために会いに行く。会いに行くのは瀧と奥寺先輩のデートの日。
そもそもデートのセッティングをしたのは三葉だし、普段から瀧の片想いを応援するつもりで奥寺先輩との仲を深めている。ただ、本来なら三葉が奥寺先輩とデートする予定が、デート当日に入れ替わりが起きなかったことで、三葉は「二人の蚊帳の外」という立場に初めて明確に置かれる。「二人は今頃デートか…」という台詞も印象的。
結局三葉は、瀧が気になって東京へと向かう。片道5時間の移動の中で、「急に会いに来たら、少し喜ぶかな…」と少し期待もしている。この道中で三葉は、いつからか芽生えていた瀧への好意を自覚し始めるのでは無いかと思う。
三葉は実際に瀧との接触に成功するものの、瀧に「誰、お前?」と言われて消沈。髪を切って週明けの学校も休んでしまう。髪を切るという行動からも、三葉に「失恋した」という意識があるのは間違いない。言い換えれば、瀧への恋愛感情があって、それを自覚していたということになる。
失恋してすぐに彗星の日がやってきて、恋愛が成就しないままに三葉は死んでしまう。しかし、瀧の行動によってカタワレ時の邂逅が実現する。そこから歴史が変わり、5年後に東京で再び巡り会うことになる。
2. 瀧→三葉の好意について
三葉→瀧の好意に対して、こちらは少し毛色が違うと思った。三葉が瀧に会うために会いに行くのに対して、瀧は少し違う。
奥寺先輩とのデートの翌日以降、三葉との入れ替わりは発生しなくなる。瀧は、三葉と糸守を喪う。そしてそこから三葉と糸守への想いは強くなっていく。人が変わったような険しい表情でスケッチブックに記憶の中の糸守を描き、それを持って瀧は糸守へと向かう。
瀧の中で三葉は大切な存在になっていたことは間違いない。自覚が薄いだけで恋愛感情も抱いていたと思う。でも、この時の行動原理には、純粋な三葉への想いの他に、大切なものを喪った喪失感、執着心といった、入り組んだ感情が乗っかっていたように思う。純愛の甘酸っぱさというより、鬱屈した痛切なほろ苦さが伝わってくる。
奥寺先輩が煙草を吸いながら瀧のことを喋るシーンがある。
瀧くんは誰かに出会って、その子が瀧くんを変えたのよ。
それだけは確かなんじゃないかな。
うろ覚えだけどこんな内容。瀧は変わった。心の大部分が三葉のための場所になっていた。そういう重要な出会いだった。ただそれは、一歩間違えば呪いにもなり得る。作品としてそれを狙っていたのかはわからないけど、三葉の影を追い求める瀧の姿にはそうしたネガティブな印象も抱いた。
■「君の名は。」の二面性
一回目の視聴では主に瀧に感情移入していたと思う。劇場で配布されていた小冊子「君の名は。スペシャルガイドブック」には、新海誠のメッセージとしてこう書かれている。
すべての思春期の若者と、
思春期の残滓を抱えた
大人のための映画です
記憶の中に強く残り続ける風景。自分に変化をもたらした出会い。このメッセージを見ていたのもあって、そういう思春期臭いものを思い返したりつつ見ていた。映画館を出た後もその印象が強く残っていたし、純愛や恋愛映画という側面よりは、喪失だったり通過儀礼だったり鬱屈した思春期を描いた、新海誠らしい青春映画という認識をしていた。だからこそ純愛と聞いてもピンと来なかったのかなと思う。
一方で二回目は恋愛感情という点に重きを置いて観たのと、初見で理解出来なかった、あるいは理解するのに精一杯だったことが整理出来たことで、三葉に感情移入してみることが出来た。三葉の視点を重視して見てみると、純愛という評判も頷ける恋愛映画だという感想になった。
結局のところ、どこに重点を置いて観るかで変わってくる。三葉の心も糸守も救われて、未来で再会するという結末は、恋愛映画のそれだと言える。でも、その結末に辿り着くまでには瀧の行動があって、その行動の源泉になったのは、純粋な好意だけじゃなく、喪失と執着に彩られた鬱屈した感情でもあって、そうした過程の部分では従来の新海作品らしいナイーブな自意識が描かれていて、青春色、思春期色が強いなとも思う。
新海誠らしさは確かに残ってるし、でも従来の新海誠っぽくないストレートな純愛要素もあって、そういう二面性を持った作品だと思う。三葉が髪を切ってもらうシーン。瀧が汗を垂らしながら糸守を描くシーン。片方がガツンと来る人もいるだろうし、あるいはどちらもピンと来ないという場合もあるだろう。その辺りの感じ方で読後感が変わってくるのかもしれない。
と、ふわりとしたというか何も言ってないような結論になってしまった。純愛なのかとか新海誠らしいのかとか、どうにも枠に当て嵌めた書き方ばかりしてしまったけど、そういう小難しいの抜きにしても楽しめる素晴らしい作品だったし、凄く好きな作品になりました。次回作についても早々に動き出していくみたいなので、のんびりと楽しみに待っています。
◆参照・関連ページ
BAYCAMP2016の大森靖子
9/3(土)の昼~9/4(日)の朝方にかけて行われた、BAYCAMP(ベイキャンプ)という野外ライブに参加。俗に言う夏フェスというやつ。去年初めて参加して非常に良かったので今年も似たメンバーで行ってきた。
タイムテーブルは一応これ↓。
特に詳細をレポートするつもりも無いんだけど、衝撃的だったアーティストがいたのでそれだけ書いておく。大森靖子というアーティストだ。
音楽は魔法ではない
でも、音楽は
これは別のフェスの映像だけど、ベイキャンプでもこんな感じだった。正直一ミリも知らなかったし、この間に近くのコンビニに飯でも買いに行こうかと思ってたけど、友人がすごいからと言うので見に行った。友人とコンビニに行かなかった自分に感謝してる。
映像だとどうしても、という部分はあるけど、生のステージは凄まじかった。何もかもがむき出し。もはや歌になってるかすら怪しい。それでも、繰り返される「音楽は魔法ではない」のフレーズに、確かに揺さぶられた。
アートで伝えようとしてる人が確かにいる。良い出会いだった。Wikipediaに書いてある以外のことも、少しずつ知れたらいいと思う。
くろろのたのしいディスカバリー(2016年8月)
8月の良かったものまとめというか振り返りみたいなそんな記事を作成。
■牧野由依『Yui Makino Concert~twilight melody~』(2016.8.10 参加)
声優アーティストである牧野由依さんのコンサートに参加。3時間ずっと着席して聴き入るタイプのもの。牧野由依さんのコンサートは何だかんだで三回目くらい。
1stアルバムと2ndアルバムを高校生くらいのときに良く聴いていたので、そのアルバムの曲が来るとかなり懐かしい気持ちになる。ARIAシリーズの主題歌『シンフォニー』も披露された。これも個人的な思い出ではあるけど、ヴェネツィアに一人旅に行ったときにARIA関連曲を聴きまくったのでその辺りの記憶も蘇る。
とにかく声が綺麗で可愛らしいので、ホールの音響でそれが聴けるだけでかなり幸せだった。コンサートと銘打つだけあって生バンド&生オーケストラでお送りされ、牧野由依さんもピアノを演奏する。ピアノ×バイオリン(ボーカルなし)のクラシックコーナーなどもあって楽しめた。
■オーガスト『AUGUST LIVE! 2016』(2016.8.12 参加)
超大手エロゲメーカーことオーガストが主催したライブ。歴代の作品の主題歌や関連曲をお送りする。
オーガストは去年の夏頃に『トラベリング・オーガスト2015』(フルオーケストラで楽曲を演奏するヤバいやつ)を開催したけど、今年は会場一体となって盛り上がれるライブ感を大事にしたようで、オールスタンディングのライブとなっていた。
オーガストは最新作『千の刃濤、桃花染の皇姫』(せんのはとう、つきそめのこうき)(読めない)を9月に発売する。和風ファンタジーな世界観ということで、津軽三味線など和テイストの楽器を取り入れたアレンジが各楽曲に施されていて、カッコいい仕上がりになっていた。
終盤のメドレーコーナーで『千の刃濤、桃花染の皇姫』(せんのはとう、つきそめのこうき)(読めない)の主題歌が披露され、めちゃくちゃカッコよくて発売が楽しみになった。
■久保ユリカ『SUMMER CHANCE!! 』(2016.8.17 購入)
別記事で特集済。
8/17発売の久保ユリカさんの2ndシングル。カップリング曲『記憶コロコロ』が素晴らしい。A面とB面でガラリと雰囲気が変わるので楽しめる。シングル1枚にしてもこういう構成だと楽しめるし、初めて手に取った人の心を掴む上でも大事になってくると思う。
CDをたくさん買ったおかげで発売記念のお渡し会イベントに3回参加することが出来た。お渡しされる際に約10秒間お話が出来るけど、これが恐ろしく緊張する。恐ろしく緊張した結果、記憶がところどころ抜けている。そうか、これが記憶コロコロ……
■ナナシス『Tokyo 7th シスターズ 2nd Live 16'→30'→34' -INTO THE 2ND GEAR-』(2016.8.21 参加)
パシフィコ横浜で開催された8/21のナナシスの2ndライブに参加。個別記事を作成済。まあまあ書きたいことを書けた気がする。
アイドルものの現場に行くのが初めてだったというのもあるかもしれないけど、ここ最近で一番熱くなったライブだったと思う。楽しかったし、何より圧倒された。すごいライブだった。
■庵野秀明『シン・ゴジラ』(2016.8.13 視聴)
ゴジラの知識ゼロだったけど話題だったので観に行った。めちゃくちゃ面白かった。とにかく面白いもんを作ってやるんだっていう気合いを感じた。
シンゴジラおもしろおもしろおもしろおもしろおもしろ~~!!!
— くろろ (@0get_kuroro) 2016年8月13日
■デヴィッド・フィンチャー『ファイト・クラブ』
名作として名高い作品。Mr.Childrenの『FIGHT CLUB』という曲の元ネタにされていて、それで俺はこの映画を知った。ずっと見たい見たいと思いつつ後回しにしていたのをレンタルでようやく視聴。
こう言うと安っぽいけど価値観が変わるくらいの衝撃を受けた。あるいは、色んなことを代弁してくれたような感覚がある。鬱積してたものというか、心の片隅で思ってたけど押し殺していたようなものというか、そういうのだ。とにかく見ていて気持ちいい。
視聴後の衝撃がかなりデカく、ブルーレイも買ってしまった。改めて見返してみると幼稚なことをやってる気もするけど、最初のインパクトが薄まることはない。
■新海誠『君の名は。』(2016.8.27 視聴)
新海フィルム最新作。公開日に観に行った。従来の空気感やメッセージ性は残しつつも、大衆向けのエンターテイメントとしても楽しめる内容になっていて素晴らしかった。友人と観たので、鑑賞後の感想合戦も楽しかった。
途中、いつかの記事で書いたOのことを思い出しながら観ていた。思えば、秒速5センチメートルで新海誠作品に初めて触れたのも、きっかけはOだった。
そんな感じで終わり。イベントとしては音楽ライブ(全部オタク)が4つ、久保ユリカさんのお渡し会が3つと、忙しい月だった。3本映画を見たけどそれも全て濃かったのでかなり満腹な状態。
良かったものに関してはなるべく1つの記事で取り上げる、という自分ルールみたいなのを付していたつもりだったけど殆ど書けていない。この記事もかなり投げやりというか適当に作った。
インプットが濃くて充実していた分、アウトプットがしっかり出来てなくて苦しくなってる感覚がある。すぐに何かしら書いておかないとモヤモヤしたまま記憶が薄れてどうしようもなくなってしまうので、やっぱり短くても整理して外に出す作業は大事だと感じる。
と言いつつも、9月後半にTOEICがあるのでしばらくそっちにリソースを割くことになるかもしれない。
ナナシス2ndライブ『Tokyo 7th シスターズ 2nd Live 16'→30'→34' -INTO THE 2ND GEAR-』に参加した話
8月21日にパシフィコ横浜にて開催された、『Tokyo 7th シスターズ』、通称『ナナシス』の2ndライブ「Tokyo 7th シスターズ 2nd Live 16'→30'→34' -INTO THE 2ND GEAR-」に参加した。とても良かったので感想なりを何かしら書いておきたい。ただ1曲1曲を取り上げると収拾がつきそうに無いので、なるべくライブ全体というかライブそのものに関して書く。
とりあえず言いたいのは、どの曲、どの部分を取っても素晴らしい内容だった。完成度というか、内容の濃さに関してはこれまで参加したライブの中でもトップに入る。形式的なアンコールも廃されていて、一つの『作品・舞台表現』という側面が強く押し出されたライブだという印象を抱いた。
とりあえずアニメイトタイムズ様からセットリストを拝借。
【セットリスト】
1.SEVENTH HAVEN/セブンスシスターズ
2.FALLING DOWN/セブンスシスターズ
3.KILL☆ER☆TUNE☆R/777☆SISTERS
4.Cocoro Magical/777☆SISTERS
5.-Zero/KARAKURI
6.B.A.A.B./KARAKURI
7.You Can’t Win/NI+CORA
8.ラバ×ラバ/WITCH NUMBER4
9.セカイのヒミツ/サンボンリボン
10.さよならレイニーレイディ/SiSH
11.YELLOW/Le☆S☆Ca
12.Behind Moon/Le☆S☆Ca
13.PRIZM♪RIZM/WITCH NUMBER4
14.オ・モ・イ アプローチ/NI+CORA
15.AOZORA TRAIN/SiSH
16.たいくつりぼん/サンボンリボン
17.Clover×Clover/サンボンリボン
18.お願い☆My Boy/SiSH
19.Girls Talk!!/NI+CORA
20.SAKURA/WITCH NUMBER4
21.ワタシ・愛・4U!!/4U
22.TREAT OR TREAT?/4U
23.Hello...my friend/4U
24.ハネ☆る!!/はる☆ジカ(ちいさな)
25.Snow in “I love you”/777☆SISTERS
26.H-A-J-I-M-A-R-I-U-T-A-!! /
777☆SISTERS
27.Sparkle☆Time!!/セブンスシスターズ
28.Star☆Glitter/セブンスシスターズ
29.FUNBARE☆RUNNER/777☆SISTERS
30.僕らは青空になる/All Cast
このような形。13-16.はメドレーだったけど30曲ある。ちなみにナナシスの既発表曲は31曲らしい。要するに殆ど全部やってる。これを3時間に詰め込んだのはすごい。13-16.や21.などはやらないものだと思っていたので驚きだった。
曲を詰め込んだ分、1stで印象的だった長尺のMCは必要最低限のものになっていた。「作品・舞台表現という側面が~」という風に上で書いたのはこの辺りも関係する。キャストに自由にやってもらうというよりは、ライブに向けて準備した鍛錬・レッスンの成果を少しでも多く観客に魅せる、というスタンスだったように思う。クオリティの徹底的な追求が感じられた。このある種のストイックさと本気度は静かに燃える碧い炎をイメージさせる。
原作ゲームやCDアルバムとの連動・統一感、というのもライブを良いものにした要素として大きかったと思う。原作ではライブ直前にLe☆S☆Ca、4U、KARAKURIののスペシャルエピソードが配信された。4U、KARAKURIに関しては乱入を予め宣言するという内容になっていて、言うなればライブにおける予定調和的な展開が約束された。
2ndアルバムは6月発売で、ライブはこのコンセプトにある程度即した内容になると予想出来る。Disc1のIntro~『SEVENTH HAVEN』の流れをライブの開幕として妄想するのは誰でもやったはず。Disc2のナナスタを主幹として、Disc1のライバルたちを要所で入れてくるのっていうのも1stライブを思い返せば見えてくる。
ここまで書いて思ったのは、今回のライブは参加者がある程度「予想出来る」ことをやってた。予想外だったりサプライズを誘うような突飛なことはしてない(ほぼ全曲やったのは驚いたけど)。「こう来るだろうな」っていう見当を付けられたし、それはほぼ順当にいった。
ただ今回のライブは、そんな予定調和を質やクオリティの部分で正面から越えてきた。だからこそ余計に打ちのめされた。七咲ニコルと羽生田ミトの語りが追加され更に扇情的になったIntroからの『SEVENTH HAVEN』には、どんなに待ち構えていてもシビれずにはいられない。いくらヘッドホンの音量を限界にして「Seventh Strike Back」の脳内妄想をしていても、セブンスシスターズのダンスや衣装や存在感、ステージ照明やレーザーライト、圧倒的な音響と会場の大歓声には適わない。全員が揃った4Uのパフォーマンスは予想を遥かに越えてアツかった。『FUNBARE☆RUNNER』のバトンが繋がったときは感動した。
何よりも作り手が妥協せず徹底的に良いものを作ってる、というのが答えだと思う。この曲やこの場面が良かったというのは勿論あるけど、ライブが終わったときに真っ先に思ったのは、「ナナシス、すげえ」ということだった。更に言えば「茂木総監督、すげえ」ということだったし、キャスト陣よりも先に脳裏に浮かんだのはLINE LIVEで見た茂木総監督の顔や、パンフレットの1ページ目の言葉だった。好きなキャラクターや声優、曲はもちろんある。でもそれ以上にナナシス自体、Tokyo 7th シスターズというコンテンツ自体に胸を掴まれた感覚があった。それは各媒体の連動性や統一感が強い、ブレがない結果、全てを自然に『ナナシス』として捉えることが出来るからだと思う。
そしてそれを可能にしてるのは各媒体を総合して監督している総監督・茂木伸太郎氏の手腕に他ならないと思う。こういう作り手の裏側の部分っていうのを特に隠さず、むしろ強烈な存在感が出てるっていうのはアイドルものでは結構珍しいと思う。何度か書いてるライブ自体の作品・舞台表現っぽさっていうのも、作り手の存在感が強いからこそそう感じたのかもしれない。ライブ中の「喰われる」、「ブン殴られる」ような感覚はここに通じてる気がする。
思っていた以上に長くなってしまったので終わる。各曲の詳細をライブ感と共に感じられる記事がアニメイトタイムズ様にあったのでリンクを張っておく。
改めて参加してよかった。アンコールが必要ない、むしろそんな傲慢な要求出来たもんじゃないと思ってしまうくらいの満足度だった。本当にすごいものを見せてもらった。「見せ付けられた」という言い方のほうがしっくり来るかもしれない。2.5や3rdもまた参加出来れば嬉しい。
◆参照・関連ページ
・Tokyo 7th シスターズ(公式サイト ライブ特設ページ)
・ナナシスの「未来」も明らかになった2ndライブのレポートをお届け | アニメイトタイムズ