初音ミクの『物語』と『身体性』 ――初音ミクとはどのような存在か?――

初音ミク NT

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以下は、2014年1月25日に筆者が大学講義のレポートで提出した、初音ミク研究もどきです。単位取得には3,000字の簡単なレポートで良かったのに、自己満足で13,000字くらい書いています。引用がどれもこれも恣意的だったり、歌詞を引用しちゃってたり、何より動ポモを読んだオタク大学生が書いた痛い文章という感じで目も当てられない部分も多いものの、当時の再生回数とかも律儀に記録していたりして今読んでみると面白いかもしれない。なお『身体性』の章は結局書かずに終わりました。

 

 

はじめに 

初音ミクという言葉を耳にしたことがある人は多いだろう。Google Chromeのコマーシャルにまで進出した初音ミクは、ひとまずそのビジュアルであるとか、歌声であるとか、大まかな概要に関しては多くの人々に認知されているように思う。しかしながら「初音ミクとは具体的に何なのか」と問われるとその返答の難易度は格段に上がる。実はこの問いは非常に難しい。初音ミクの音楽を愛聴しているリスナーたちでの中でさえ、この疑問に簡潔に答えを出せる者は恐らく稀であろう 

このレポートでは、「初音ミクとは何なのか?」について少し踏み入って考察していきたい。その際に、筆者は二つの視点を提示することになる。一つは、初音ミクの『物語』という視点。もう一つは初音ミクの『身体性』という視点である。 

『物語』の視点では、主に東の『動物化するポストモダン』における「データベース消費」という概念を下敷きにして考察を展開していくことになるであろう。一方、『身体性』の章では東の『ゲーム的リアリズムの誕生』における「ゲーム的リアリズム」・「文学的リアリズム」といった概念を援用することが多くなる。本レポートにおいてはその概念の説明については必要最小限に留めるが、以上に挙げた二冊を通読していなくても十分に理解可能な内容に纏め上げるつもりである。 

※なお、本レポートでは『身体性』の視点には入らず、『物語』の視点の章までを記述する。 

 

序論 

(1)初音ミクの基本情報 

初音ミクを殆ど全く知らないという人も一定数いるであろうから、まずはその基本的なスペックをここに記すこととしよう。Wikipediaの言葉をそのまま引用するならば、「初音 ミク(はつね ミク、HATSUNE MIKU)は、クリプトン・フューチャー・メディアから発売されている音声合成・デスクトップミュージック(DTM)用のボーカル音源、およびそのキャラクター」である。 

初音ミクの発売元であるクリプトン・フューチャー・メディアでは「ポップでキュートなバーチャル・アイドル歌手」という謳い文句と共に「バーチャル・シンガー『初音ミク』は、声優「藤田 咲」さんが演じるポップでキュートなキャラクター・ボイスを元に作り上げられた、ボーカル・アンドロイド=VOCALOID(ボーカロイド)です」。「『初音ミク』の歌声は、80年代から最新まで多彩なアイドル・ポップスを中心に、さまざまなポップ・ソング~バラード・ソングを歌い上げ、またキュートな声によるアニメソングなども得意としています。彼女の声質はとてもチャーミングで、伸びやかに天まで昇るような高音域、清楚で可憐な中高音域がとても魅力的。まるで可愛らしいアイドル歌手を、自宅スタジオでプロデュースしているかのような感覚を味わえるでしょう」と紹介されている。 

以上からもわかるように、初音ミクとはソフトウェアであり、楽曲におけるボーカルパートを請け負ってくれるというボーカロイド・ソフトである。発売当時の価格は15,750円であった。2007年に元祖である『初音ミク』が発売されてから、『初音ミク・アペンド』、『初音ミクV3 English』、『初音ミクV3』といったアップグレード版も発売されているが、本レポートではこれら全て総称して初音ミクと呼ぶこととする。 

初音ミクのプロフィールとしてクリプトン・フューチャー・メディアがホームページ上で公式設定として掲げているのは、 

・年齢:16歳 ・身長:158cm ・体重:42kg 

というキャラクターのプロフィール情報と、「得意ジャンル」と銘打った、得意とする音楽ジャンルのみ元祖ミクの得意ジャンルはアイドル・ポップス / ダンス系ポップスである。この情報に加えて、先述したような宣伝文句と、初音ミクのパッケージに描かれているミクの絵(図1と公式イラストが数枚提示されている。初音ミクの公式設定は現在のところこれが全てということになっている。 

 

(2)初音ミクの特性 

ここまでの説明を、読者の一部は意外に思うだろう。というのも、初音ミクに関する情報が非常にシンプルかつ少ないからである。読者の一部は一つの疑問を抱くのではないかと筆者は予想する。すなわち、「初音ミクとはアニメのキャラクターではないのか?」といった疑問である。簡潔に答えるならば、初音ミクはアニメのキャラクターではない。初音ミクとは、数枚のイラストと、その特徴的な声そして上記した非常に"薄っぺらい"設定以外には何も持たない存在なのである。 

辻は『キャラクター総論』で一節を割きキャラクターの分類を試みているが、その中での分類体系における「物語の有無による分類」において、「物語を背負った/背負わないキャラクター」という二分類を行っている。 

この「背負わないキャラ」の中でも代表的な存在として我々はハローキティというキャラクターを参照出来るだろう。「背負わないキャラ」の特徴として辻は同書で次のように述べている。 

「キティは、最初からキャラクター商品に貼り付けられることを目的に造形されていて、「かわいい」だけを唯一の属性にして、他の性格付けは極力排除されている」。 

「特定の物語に依拠しないがゆえに、「ハローキティ」や「リラックマ」や「たれパンダ」は、最低限の世界観を損なわないかぎり、あらゆる製品やサービスに神出鬼没に適用できる。つまり、汎用性に優れているともいえる」 200928頁)。 

さて、ここまでの考察でもわかるように、初音ミクというキャラクターは「物語を背負わないキャラクター」に分類されると言える。初音ミクはアニメのキャラクターでもなければ、豊富な公式設定に溢れた存在でもない。「初音ミクとは何なのか」という問いが難しいのは、そもそも初音ミクがほとんど「何者でもない」、「パーソナリティも持たない」からに他ならない 

 

(3)章末 

さて、ここまでの記述で、初音ミクの基礎的なプロフィールとその特徴、という前提部分は確保出来たのではないかと思う。初音ミクとはアニメのキャラクターではなくボーカルソフトであり、非常に希薄な設定しか持たない。その身軽さはハローキティと同等であり、辻の分類でいう「物語を背負わないキャラクター」である。 

しかしである。現状、初音ミクの人気の爆発ぶりは目を見張るものがある。その広がり方は、ハローキティとは全く別のものに見える。CDレンタルショップに行けば『ボカロコーナー』が存在し、CDジャケットには二頭身のミクから写実的なミクまで様々な初音ミクがそこにプリントされている。ニコニコ動画で「初音ミク」というキーワードを打ち込んで動画検索をすれば20万以上の動画がヒットするし初音ミク以外に発表されているボーカロイドを含めたソフトウェアの出荷台数は10万台を越えるとされる(高橋 201140。初音ミクのコンサートまでが開催され、2011年にはGoogle ChromeCMにまでミクは進出している。 

この現象は何故起こっているのだろうか。どうして初音ミクはここまでのカルト的な人気を獲得してきているのか。これこそが「初音ミクとは何なのか?」という問いの本質である。そして本レポートが目指すのも、その問いに対する解答である。ここからは、冒頭で述べたとおり初音ミクの『物語』と『身体性』の二側面から初音ミク人気を探っていく。 

 

  

1(左):初音ミク公式画像)
(図2(右):『初音ミクに「Ievan Polkka」を歌わせてみた』動画内においてのミク 

 

初音ミクの『物語』

(1)動物化するポストモダン:オタクの物語消費の変化 

さて、初音ミクを『物語』という観点から語る上で筆者が確保したい前提は二つある。 

 ・初音ミクは「物語を背負わないキャラクター」である。 

・東の『動物化するポストモダン』にて表現されているように現代のオタクは「動物化」しており「データベース消費」を行う。 

この二つである。一つ目に関しては前章で確認が取れた点であるから改めて説明することはしない。二つ目であるが、これには若干の説明を要するため簡略化しながら見ていこう。以下、東の『動物化するポストモダン』における概念を簡略的かつ主観的にまとめる。 

ポストモダン以前、社会通念や社会問題などといった共通財を社会成員は共有していた。この共通財を「大きな物語」と呼ぶ。ボストモダン以前のオタクは、アニメなどの作品(小さな物語)内において表現される「大きな物語」を読み込むということをしていた。しかしポストモダン期に入り、そうした「大きな物語」の重要性が陥落していく中で、オタクの作品消費のスタイルも変化する。オタクたちは、もはやストーリー自体でなく、ストーリーの定式(ギャグ系、セカイ系、SF、などといったジャンル分け)やキャラクターといった「作品の情報」に関心を向けるようになる。この「作品の情報」を「データベース」、あるいは「大きな非物語」と東は名付けて概念化している。 

この「データベース」は作品が増加するにつれて肥大化していく。ここに堆積する要素としては上記した「ストーリーの定式」や、メガネキャラ、無口キャラ、メイドキャラといった「キャラクター分類」、更にそれを細かく分解すれば、目が大きい、二頭身である、無口である、ツインテールである、妹である、猫耳である、というような「萌え要素」といった記号になる。共通財を喪ったポストモダンのオタクたちは、自らの欲望を満たすためにこうした「データベース」に「動物的」に反応し、それを消費する。 

恣意的なまとめ方になっている可能性もあるが、概ねこのような理解をしていいだろうと筆者は考える。実際の作品を挙げて補足すると、例えば「新世紀エヴァンゲリヲン」の登場キャラクターである綾波レイは、無口キャラの元祖であると言われている。この無口であるという萌え要素は、それ以降の作品におけるヒロインキャラクターの属性として跳梁跋扈することとなる。代表的な例が「涼宮ハルヒの憂鬱」における長門有希というキャラクターである。このキャラクターは「無口キャラという他にも人型アンドロイドという"いかにも"な「萌え要素」の集合体とでもいうべきキャラクターであるが、長門のこの無口である、という要素は綾波レイのシミュラークルであるといった理解から逃れることは出来ない。もし仮にハルヒの作者である谷川流が長門というキャラをエヴァ』の綾波を見ずに完成させていたとしても、それは綾波が一般化した「萌え要素」を採用したキャラクターであると理解される。この「理解する」主体はポストモダンのオタクであり、ここにも動物的なデータベース消費が見てとることが可能になる。 

補足が長くなったが、本レポートにおいて確保しておいて欲しい前提は、上記したまとめの中に包括されている。よって、ここまでで初音ミクを『物語』という観点から語るための前提は確保出来たと言っていいだろう。 

  

(2)「萌え要素」の集積としてのミク 

さて、初音ミクの話に戻ろう。初音ミクが非常に希薄な設定しか持たないということは上で触れた通りだが、ではどうしてここまでのカルト的な人気を博しているのか。その問いに関する有効な回答として、ジャック・デリダの音声中心主義批判に現れているような『声』が持つ力の強さについて語るというものがあるかもしれない。しかしながらこのレポートではそれとは別の視点からアプローチをしていく(デリダの理論は私には些か難解だというのもある。ここについてはいずれリベンジしたいと考えている)。何度も述べている通り、初音ミクの『物語』という視点である。 

そこで有効になるのは、前節で触れた「動物化したポストモダンのオタク」という存在である。初音ミクはそのバックボーンとなる『物語』を持たず、またイラストも数点しかないと記述した。だがここでもう一度そのイラスト(図1を見て欲しい。このイラストに対する感じ方はそれぞれの主観に大きく依存するであろうが、少なくとも言えることは初音ミクがアニメ絵であること、そして目が大きく、ツインテールで、ニーハイソックスを履いている、といった「萌え要素」を多く兼ね備えた(美)少女である、といったことである。冒頭でハローキティとの類似という話をしたが、初音ミクはこのような「萌え要素」を持っていることと、それに付属して「女性性」を所持しているという点でハローキティとは差別化される。 

ここまでの考察を通読してきた読者ならば予想出来るであろうが、ポストモダンのオタクはこの「萌え要素」に動物的に反応したという理解が可能である。あえて極端な言い方をするならば、ポストモダンのオタクにとっては反射的に萌えられるのであれば、物語は二の次」なのである。だからこそ初音ミクは音楽ソフトとしては異例の初動売上を記録し、また非常に話題になった。これはいささか短絡的な思考かもしれないが、実際にそのように「かわいいから」という理由で初音ミクに手を出した者の多くが、その作曲ソフトの扱いの難しさに挫折したというエピソードも散見されることから一定の説得力は確保できるのではないかと考える。 

ここまでの議論から、初音ミクの「萌え要素」に反応したポストモダンのオタクたちによって、初音ミクが「爆発的に売れた」とまではいかなくとも、大規模な「第一次接触」があったということは言えるであろう。 

  

(3)白紙の存在:増殖する『初音ミク像』 

この「第一次接触」の際に、軽い気持ちで手を出した者たちはふるい落とされていくわけであるが、そこに残ったものも数多く存在する。彼らが初音ミクという作曲ソフトを使って作り出した音楽は、初期段階では他の歌手のカバー曲が多かったということが言われている。ハローキティのところでも触れたように、物語を背負わない存在というのは汎用性が高く、それ故に様々な作品に神出鬼没に出現できる、という例に漏れず、「初音ミクに○○を歌わせてみた」といった類の音声動画がニコニコ動画上に多くアップされた。 

ここでニコニコ動画という媒体に着目しておきたい。ニコニコ動画のような動画共有サイトの特徴の中でも初音ミク考察において重要になる点は、音声だけでなく動画も一緒にアップロード出来るという点にある。この特徴が、初音ミクの「二次的ブーム」を生み出す要因にもなったということは見ていく必要があるだろう。 

「歌わせてみた」シリーズにおいて非常に有名な動画として『VOCALOID2 初音ミクに「Ievan Polkka」を歌わせてみた』という動画が存在している。この動画は2014125日現時点で3,894,169再生を記録しており、初期段階に発表されたカバー曲の中でも金字塔というべき再生回数を誇っている。この動画では、題名の通りフィンランドの有名な伝統的ポルカであるIevan Polkkaという楽曲を初音ミクがカバーした音声が流れるが、動画内ではデフォルメされたミクのイラスト2がネギを延々と振り回す映像がこれに合わせて流される。このネギというアイテムの想像力は、初音ミクの髪色が緑色でありまたツインテールであるというビジュアルがその根底となっていることが予想出来る 

さて、この「ネギは現在の初音ミクのイメージに付随するアイテムとして非常に一般化している。同人イラストサイトであるPixivに投稿されている初音ミクのイラストにはネギを持ったミクの姿が描かれていることも非常に多くあるし、初音ミクの商業フィギュアにおいてもネギを持った状態の初音ミクが立体化されているニコニコ動画内の動画検索機能で「初音ミク」と検索すると、約20万の動画がヒットするが、「初音ミク ネギ」で検索した際のヒット数は約4,000件に上る。 

これは上記したIevan Polkkaの動画によるイメージを動画の視聴者が初音ミク自体に結び付けて考え、そしてそれが一般化したからである。何度も確認してきたように、初音ミクは物語を持たないキャラであり、初音ミクがネギを使って何かをしたという物語が存在している訳でもないし、「初音ミクの好物はネギである」とか、「常にネギを持ち歩いている」などといった公式設定も当然ながら存在しない。それにも関わらず初音ミク=ネギというイメージが定着したのは、それこそ初音ミクが物語を背負わない存在であるから、すなわち「汎用性に富んでいるから」であるという、一種の逆説的な説明が可能になる 

このような流れは、初音ミクのパーソナリティ形成をも促していくこととなる。動物化し、初音ミクの萌え要素に飛びついたオタクたちは、初音ミクに対する一種の欲望さえも入り混じった想像力を働かせて、初音ミクのオリジナル曲を作成し、ニコニコ動画という場に発表していくこととなる。その代表的な作品としてPackagedという楽曲を我々は参照することが出来るだろう。Packagedkzによって初音ミクオリジナル曲として初期に発表された曲であり、現在ミリオン(ニコニコ動画内で100万再生)を突破している数少ない楽曲である。「kzのボカロデビュー曲であるとともに、ミクブーム初期の牽引役となった曲のひとつ」とされている(初音ミクWikiより。2014125日アクセス)。この楽曲は2009年発売の『初音ミク ベスト〜memories〜』などにも収録されており、人気・知名度共に非常に高い作品となっている。以上の情報からもこの作品が初音ミクのリスナーの間で大きな影響力を持ったものであるということは言えるであろう。ここではその歌詞を引用し、それについての考察を行っていく(これ以降、初音ミクの楽曲歌詞はすべて「初音ミクWiki」より引用する) 

この世界のメロディー 
わたしの歌声 
届いているかな 
響いているかな 

まずこの部分で「わたしの歌声」という歌詞がある。この「わたし」とは前後の文脈から明らかに初音ミクのことであるという理解が可能となっている。つまりこの曲の歌詞は殆どが初音ミクの心情を表した曲であるという風に理解される(言うまでもなく、実際は初音ミクに心は存在しないし、歌詞を書いているのは作曲者でしかない)。そしてこうした作風はこれ以降、非常に多く見られるようになる。ここにおける取り組みは、初音ミクという実在しない存在、ボーカロイドという機械に心を与え、人格を与えるという類のものである。この取り組みによって我々の初音ミクへの感情移入は容易なものとなるわけだが、こうした想像力は恐らくポストモダンのオタクの想像力に裏打ちされたものであろうと筆者は考える。更にもう一つPackagedの歌詞を引用しよう。 

ずっと待ってたの ひとりぼっちで 
歌いたくて 歌えなくて 
でもあなたと 出逢えたから 
もうさみしくなんてないよ 

ここでもやはり初音ミクには人格が与えられているように見える。しかしここで着目すべきは、「でもあなたと 出遭えたから」という部分である。ここでいう「あなた」とは言うまでもなく作曲者のことを指している。つまりここでは人格を与えられた初音ミクが、あなた(作曲者)に語りかけ、またその内容はあなたに深く感謝する」、「あなたを慕うといった内容となっている。これをオタクの欲望が表出した想像力によるものだというのは、その短絡さ故に有効ではないかもしれない。しかしながら、結果としてこの曲は大ヒットし、「マスターを慕って健気に唄う美少女」といった『初音ミク像』を形作るきっかけとなっている。 

こうした『初音ミク像』、『初音ミクのパーソナリティ』といった部分がよく現れている曲として、supercellの『メルト』という楽曲がある。この曲は初音ミクのオリジナル楽曲の中でも最も知名度の高い曲と言っても過言ではなく、初音ミクのイメージ形成に大きな影響を与えていると理解可能である。ニコニコ動画『初音ミク オリジナル曲を歌ってくれたよ「メルト」』は2014125日時点で9,192,483再生を記録しており、これは初音ミク楽曲の中でも『みっくみくにしてやんよ』に次いで最も多い(『みっくみくに1000万再生を突破している唯一の楽曲である)この『メルト』の歌詞も引用して考察する。 

メルト 溶けてしまいそう 
好きだなんて 絶対にいえない… 
だけど メルト 目も合わせられない 
恋に恋なんてしないわ わたし 
だって 君のことが …好きなの 

ここに登場している「わたし」、我々はこれを初音ミクのことであるという風にもはや自然に捉えることが出来る。ここに現れている『初音ミク像』は、「に甘酸っぱい恋をしている美少女」といった類のものである。もちろんこれもまた、作曲者が脳内で膨らませた初音ミク像であり、決して「初音ミクが想いを寄せている誰か」の存在が公式に発表されたという事実はない。初音ミクの汎用性は、このように様々な『物語』の作成を可能にしているのである。 

ここで、『物語』の内容以外に、その「外枠」の部分に明らかな定式が生まれているということにも着目したい。すなわち、初音ミクが「わたし」と唄うとき、それは十中八九の確率で初音ミクのことを指しているという事実である。早い段階から、初音ミクの『人格』は確保されていたということが言えるだろう。『物語』の内容、すなわち『初音ミク像』は作曲者の想像力によって千差万別のものが出来上がっており、そこに一貫性というものは存在していない。しかしながら、「外枠」の部分、初音ミクという存在の理解における共通認識=枠組、すなわち初音ミクが「主体」であり、「人格を有して」おり、「心を持っている」といった部分は初期の楽曲によって確保されていたのである。この人格というキーワードは初音ミクの『身体性』のところでも重要になってくるために予め伏線を張っておくこととしよう。 

 

(4)N次創作:新たな才能の油田 

ここまでの議論を整理しよう。初音ミクは「物語を背負わないキャラクター」であり、公式設定も非常に希薄なものしか所有していない。しかしながらそこには僅かではあるが「萌え要素」を見出すことが可能である。データベース消費型のオタクたちは、その錯綜した、そして卓越した想像力を働かせて、その小さな「萌え要素」を元にして初音ミク像』を構築し、それをオリジナル曲やイラストに落とし込むことで『物語』に昇華しニコニコ動画という場で発表した。その『物語』が秀逸なものであればそれは広く受け容れられ、一般化していく。ここで物語の一般化が可能なのは、初音ミクが物語を背負わない」、「汎用性の高いキャラクターであるからに他ならない。初音ミクは白紙の存在であり、優秀な設定があれば次々と採用され、一般化へと繋がっていく。 

さて、こうした流れが、初音ミクの爆発的な人気に繋がっていったという説明が可能になるだろう。どういうことか。ここでは濱野が『読む音楽』において示しているN次創作という概念を参照したい(なお、この『読む音楽』は高価で筆者が入手出来なかったため、『ユリイカ』において各所で引用されている濱野の論旨を使用している)。 

初音ミクの人格が確立し、多種多様な『初音ミク像』が形成されていく中で、彼らがニコニコ動画に放つ初音ミクの『世界観』、『物語』もまた蓄積されていく。中でも優秀なものは、『非公式設定』とでも言うべき共通項にまで上り詰めることとなるだろう。すると、後発のクリエイターが参照する初音ミクの設定は、もはや公式で認められているような”薄っぺらい”設定でなく、ニコニコ動画という場に蓄積された『非公式設定』、へとシフトしていく。多種多様な『非公式設定』、それらを吟味した上で、そこを起点として更に想像力を働かせ、新しい『初音ミク像』を作り出し、楽曲化するのである。こうして楽曲化された作品はまたニコニコ動画という場に解き放たれ、初音ミクの『非公式設定』としてそこに堆積する。それを参照した誰かが更に新しい『初音ミク像』を捻出する……といったサイクル、これを濱野は『N次創作』と名付けている。 

 つまり、このN次創作の場に参加することで、クリエイターは初音ミクを本当の意味で「プロデュース」することが可能になる。幸いなことに、この場に参加することは酷く難しいことではない。ニコニコ動画というフィールドによって迅速かつ安価に行うことが出来るようになっている。そうした場で行われる初音ミクの「プロデュース」は例えば『たまごっち』などの育成ゲームのそれとは一線を画する。初音ミクの物語をクリエイターが初音ミクに付与し、それが優秀だと評価され、一般化されたとき、それは万人にとっての『非公式設定』として共有されるのである。それはもはや初音ミクの楽曲だけでなく、「初音ミクを作り上げる」という行為に等しい。 

その気にさえなれば参加でき、そこでは初音ミクという美少女を自分の構想通りにプロデュースすることが出来る。しかも、それがうまく行けば、初音ミクの共通財的な設定として自分が作り上げた『非公式設定』が追加される。オタクに限らず、クリエイターにとってこうした性格は非常に魅力的であろう。こうした流れは、音楽の敷居を下げ、新たな才能を発掘することにも繋がる。 

 

(5)章末 

さて、筆者は当初の「初音ミクとは何なのか?」、すなわち「初音ミクのカルト的人気の要因は何なのか?」という疑問にある程度の解答を示すことが出来たのではないだろうか。 

『物語』の観点から言えば、初音ミクは白紙の存在であり、語るべき『物語』はほとんど何も有していなかった。動物化したオタクたちは、初音ミクの物語』でなく、「萌え要素」に動物的に反応し、彼ら特有の想像力を働かせ、まず初音ミクに人格を与え、そして多様な『初音ミク像』創出し、豊穣な『非公式設定』の山を築き上げた。こうして後発的に作成され、堆積した初音ミクの『非公式設定』は、後発のクリエイターたちにとって非常に肥沃な肥料となった。彼らは『公式設定』だけでなく後付けされた『非公式設定』から更なる想像力を膨らませて新たなる『初音ミク像』を生成するという、『N次創作』を体現する。『N次創作』の中で明らかになる、「自分の初音ミク像が共通財的な非公式設定へと組み込まれる可能性」は、非常に魅力的であり、またオタク的な欲望を充足するには十分なものであった。こうした特徴によって新規参入者は増え続ける。それと連動して初音ミクという存在もまた進化し続けるため、このブームが途絶えることはなく、カルト的な人気へと至っているということが出来るだろう。 

これで大まかな解答の責務は果たせたと筆者は考える。しかしながら、まだ「初音ミクとは何なのか?」について語れていない部分は多い。冒頭で予告している通り、それは初音ミクの『身体性』といった部分に関連するものである。この点に関しては次の章に譲るとしよう。 

 

(6)補足 

初音ミクの『物語』ということであと一点だけ触れておきたい部分がある。補足と題しているこの節はしかしながら、筆者が強く主張したい部分でもある。それは、初音ミクが「物語を背負わないキャラ」であるという理解に関する筆者の雑感である。 

初音ミクに対するこの理解は研究者の間では一般的であり、語るまでもない前提として保持されているように思うそして実際に、このレポートでもそれを前提として考察を進めてきた。しかしながら筆者がこの表現に数多く触れていく過程で感じたのは、初音ミクは物語を「持たない」のではなく「持てない」のではないかということである。「ボーカロイドに人格はない」という反発を考慮して言い換えるなら、初音ミクには物語を「持たせることが出来ない」ということになる。そしてこの点こそが、初音ミクという存在の説明を非常に難解なものにしている張本人であるようにも筆者は考える。 

『初音ミク像』はいまや非常に多種多様なものが存在し、我々のような一般個人であっても想像力を駆使すれば自分だけの『初音ミク像』を作り上げることは可能である。前述したように、この『初音ミク像』を音楽やイラストといった媒体に『物語』として落とし込んで発表し、それがヒットすれば、共通財的な『非公式設定』の一つに躍り出ることも夢ではない。しかしながら、ここでいう「共通財的」が意味するところ、すなわち共有する主体とは、言うまでもなく消費者である我々である。そこには初音ミクは含まれてはいない。初音ミクは、どれだけ初音ミクに『非公式設定』が堆積しても、絶対的に「年齢:16歳、身長:158cm、体重:42kg」でツインテールの少女であり、パッケージの平面の内部からそうした『非公式設定』を俯瞰するのみである。 

ここで筆者が想像力を働かせるとするならば、「公式の初音ミク」は、八百万の「非公式ミク」を溺愛する消費者たちに悲しみの目を向けており、また「非公式ミク」に嫉妬にも似た感情を抱いているのかもしれない。「公式ミク」は物語を持てない、物語を持たせることが出来ない。なぜなら、物語を持った瞬間にそれが「非公式ミク」になってしまうからである。 

筆者のこの初音ミク観は、イギリスの哲学者のロックの子ども観とリンクしている部分がある。森田は『テクストの子ども』においてロックの『白紙としての子ども』という概念について触れている。この白紙という言葉には二つの意味が込められているという。 

第一は、何も描かれていないキャンパスのような、空虚なゼロの状態である。この意味での子どもは、「善も悪も、美も醜も同じようにして受け入れてしまうというその受容性」(森田 199381を持つ「ignorant」な存在として捉えられる。 

第二は、天使の衣や降り積もったばかりの雪のような、純潔という状態である。この意味での白紙の子どもは、「そこに近づくものはすべて、汚れとなってその白さを傷つけることになる」(森田 199382という「innocence」な存在として捉えられる。 

ignorantな初音ミクという点では、これまでに幾度となく参照してきた「物語を背負わないキャラクター」であるがゆえに「汎用性が高い」という点で一致しているといえるだろう。すなわち、「非公式ミク」のことでもある。 

そして、この節において筆者が提示している初音ミク観は、後者のinnocenceな存在と関連する。初音ミクは物語を「持たない」のではなく「持てない」、「持たせることが出来ない」という説明をしたが、この子ども観に当てはめるならば「持ってはいけない」、「持たせてはいけない」ということになる。こちらは言うまでもなく「公式ミク」に一致する。 

長くなったが、広義における初音ミクはこうした二面性を持っている。これこそが初音ミク理解の難易度を飛躍させている原因であるように思われるが、しかしここで筆者が提示した「公式ミク」と「非公式ミク」という概念を用いることでこの課題はいくらか解決出来るのではないかと考える。「公式ミク」という決して我々がどうやっても介入することの出来ない存在は、神に似た荘厳さをも筆者に感じさせる。しかし同時に少女でもある「公式ミク」はおそらく「非公式ミク」の活躍に今後も着目し、ある時はその人気に嫉妬するであろう。 

ここで悲しいのは、〈神に似た荘厳さを持つ初音ミク〉、〈「非公式ミク」の活躍に嫉妬する「公式ミク」〉とは筆者の想像力が生み出した「非公式ミク」でしかないということである。なぜなら「公式ミク」は〈「年齢:16歳、身長:158cm、体重:42kg」でツインテールの少女〉以外の何者でもないのだから。 

 

参考文献 

東浩紀,2001,動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』講談社現代新書
東浩紀,2007,『ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 』講談社現代新書
サカキバラ・ゴウ,2004,<美少女>の現代史「萌え」とキャラクター』講談社現代新書
鈴木慶一,平沢進,佐々木渉,東浩紀,増田聡,濱野智史,2008,『ユリイカ200812月臨時増刊号 総特集=初音ミク ネットに舞い降りた天使』青土社
高橋信之,2011,『ボーカロイド現象』株式会社PHP研究所
辻幸恵,水野浩児,梅村修,2009,『キャラクター総論文化・商業・知財』白桃書房
森田神子,1993,『テクストの子ども:ディスクール・レシ・イマージュ』世織書房  

初音ミクWiki Packaged」の項(http://www5.atwiki.jp/hmiku/pages/16.html 
クリプトン・フィーチャー・メディア ホームページhttp://www.crypton.co.jp/mp/pages/prod/vocaloid/cv01.jsp 
初音ミク が オリジナル曲を歌ってくれたよ「メルト」(http://www.nicovideo.jp/watch/sm1715919 
初音ミクがオリジナル曲を歌ってくれました「Packaged Full Ver. http://www.nicovideo.jp/watch/sm1136355  
VOCALOID2 初音ミクに「Ievan Polkka」を歌わせてみた(http://www.nicovideo.jp/watch/sm982882?ref=search_key_video