新海誠「君の名は。」に見る純愛と鬱屈

新海誠監督作品 君の名は。 公式ビジュアルガイド

新海誠監督作品 君の名は。 公式ビジュアルガイド

  • 作者:新海 誠
  • 発売日: 2016/08/27
  • メディア: 単行本
 

 

『君の名は。』の公開から二週間。異例の大ヒット作品となっていて、感想を色んなところで見る。

数ある感想の中で良く目にするのが「純愛」というワードだ。奇跡が繋がって二人がカタワレ時に再会するシーンや、5年後にもう一度巡り会うラストシーンなどを指してそう評されている。また、この辺りに関して「新海誠らしさがなくなった」という意見も多かった。

公開日に一度観に行ったけど、こうした意見に関して、個人的にあまり殆どピンと来なかった。入れ替わって世界を共有しているとは言っても、直接会ったことも話したこともない相手を好きになって、乏しい手がかりで必死こいて会いに行くなんて、純愛というよりもどこか歪な感情だし、そこが新海誠らしさであってこの映画の良さだとすら思っていた。

ただ、上記したような色んな意見を目にした上で、もう一度劇場に足を運んで二回目を観てみると、少し見え方が変わってきた。その辺りについて考えたことなどを書いていく。

 

 

■瀧と三葉、それぞれの好意について

 

「君の名は。」には恋愛要素が登場する。ただ、瀧と三葉のお互いへの好意、恋愛感情はそれぞれ種類の異なるものだという風に感じた。その違いについて少し考えてみた。

 

1. 三葉→瀧の好意について

これに関してはかなりストレートで共感を呼びやすいものだ。好意が芽生える瞬間は明確に描かれていないと思うけど、それを裏付ける行動は多い。

三葉は瀧に会うために会いに行く。会いに行くのは瀧と奥寺先輩のデートの日。

そもそもデートのセッティングをしたのは三葉だし、普段から瀧の片想いを応援するつもりで奥寺先輩との仲を深めている。ただ、本来なら三葉が奥寺先輩とデートする予定が、デート当日に入れ替わりが起きなかったことで、三葉は「二人の蚊帳の外」という立場に初めて明確に置かれる。「二人は今頃デートか…」という台詞も印象的。

結局三葉は、瀧が気になって東京へと向かう。片道5時間の移動の中で、「急に会いに来たら、少し喜ぶかな…」と少し期待もしている。この道中で三葉は、いつからか芽生えていた瀧への好意を自覚し始めるのでは無いかと思う。

三葉は実際に瀧との接触に成功するものの、瀧に「誰、お前?」と言われて消沈。髪を切って週明けの学校も休んでしまう。髪を切るという行動からも、三葉に「失恋した」という意識があるのは間違いない。言い換えれば、瀧への恋愛感情があって、それを自覚していたということになる。

失恋してすぐに彗星の日がやってきて、恋愛が成就しないままに三葉は死んでしまう。しかし、瀧の行動によってカタワレ時の邂逅が実現する。そこから歴史が変わり、5年後に東京で再び巡り会うことになる。

 

2. 瀧→三葉の好意について

三葉→瀧の好意に対して、こちらは少し毛色が違うと思った。三葉が瀧に会うために会いに行くのに対して、瀧は少し違う。

奥寺先輩とのデートの翌日以降、三葉との入れ替わりは発生しなくなる。瀧は、三葉と糸守を喪う。そしてそこから三葉と糸守への想いは強くなっていく。人が変わったような険しい表情でスケッチブックに記憶の中の糸守を描き、それを持って瀧は糸守へと向かう。

瀧の中で三葉は大切な存在になっていたことは間違いない。自覚が薄いだけで恋愛感情も抱いていたと思う。でも、この時の行動原理には、純粋な三葉への想いの他に、大切なものを喪った喪失感執着心といった、入り組んだ感情が乗っかっていたように思う。純愛の甘酸っぱさというより、鬱屈した痛切なほろ苦さが伝わってくる。

 

奥寺先輩が煙草を吸いながら瀧のことを喋るシーンがある。

瀧くんは誰かに出会って、その子が瀧くんを変えたのよ。

それだけは確かなんじゃないかな。

うろ覚えだけどこんな内容。瀧は変わった。心の大部分が三葉のための場所になっていた。そういう重要な出会いだった。ただそれは、一歩間違えば呪いにもなり得る。作品としてそれを狙っていたのかはわからないけど、三葉の影を追い求める瀧の姿にはそうしたネガティブな印象も抱いた。

 

 

■「君の名は。」の二面性

 

一回目の視聴では主に瀧に感情移入していたと思う。劇場で配布されていた小冊子「君の名は。スペシャルガイドブック」には、新海誠のメッセージとしてこう書かれている。

 

すべての思春期の若者と、

思春期の残滓を抱えた

大人のための映画です

 

記憶の中に強く残り続ける風景。自分に変化をもたらした出会い。このメッセージを見ていたのもあって、そういう思春期臭いものを思い返したりつつ見ていた。映画館を出た後もその印象が強く残っていたし、純愛や恋愛映画という側面よりは、喪失だったり通過儀礼だったり鬱屈した思春期を描いた、新海誠らしい青春映画という認識をしていた。だからこそ純愛と聞いてもピンと来なかったのかなと思う。

一方で二回目は恋愛感情という点に重きを置いて観たのと、初見で理解出来なかった、あるいは理解するのに精一杯だったことが整理出来たことで、三葉に感情移入してみることが出来た。三葉の視点を重視して見てみると、純愛という評判も頷ける恋愛映画だという感想になった。

結局のところ、どこに重点を置いて観るかで変わってくる。三葉の心も糸守も救われて、未来で再会するという結末は、恋愛映画のそれだと言える。でも、その結末に辿り着くまでには瀧の行動があって、その行動の源泉になったのは、純粋な好意だけじゃなく、喪失と執着に彩られた鬱屈した感情でもあって、そうした過程の部分では従来の新海作品らしいナイーブな自意識が描かれていて、青春色、思春期色が強いなとも思う。

新海誠らしさは確かに残ってるし、でも従来の新海誠っぽくないストレートな純愛要素もあって、そういう二面性を持った作品だと思う。三葉が髪を切ってもらうシーン。瀧が汗を垂らしながら糸守を描くシーン。片方がガツンと来る人もいるだろうし、あるいはどちらもピンと来ないという場合もあるだろう。その辺りの感じ方で読後感が変わってくるのかもしれない。

 

と、ふわりとしたというか何も言ってないような結論になってしまった。純愛なのかとか新海誠らしいのかとか、どうにも枠に当て嵌めた書き方ばかりしてしまったけど、そういう小難しいの抜きにしても楽しめる素晴らしい作品だったし、凄く好きな作品になりました。次回作についても早々に動き出していくみたいなので、のんびりと楽しみに待っています。

 

 

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